ジュゴンの家・日誌

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10月E
参加者募集!!!
基地建設阻止行動およびテントで座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!
海上行動用のダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!!

基地建設阻止行動のための緊急カンパのお願い!!
 辺野古では日米政府が「沿岸案」を合意し、座り込みはまだまだ続いています。。今後も基地建設を止めるには多大な資金が必要になると予想されます。全国の皆さんにカンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古での基地建設阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611  西 陽子 

国会前座り込みホームページヘ!!

 ボーリング用のやぐらが珊瑚を破壊・・・!!
3月17日(木)にきた台船を留めるために、荒波の中無理やり降ろしたアンカーが、
再びサンゴを破壊していた。
海底に潜った夏芽さんたちが撮影した写真が見られます!!

ここをクリック!!



「名護街宣大作戦!」のお知らせ

 名護市民は辺野古に注目しています。でも、なかなか現場に来ることができない、きっかけがつかめないという人達のために、辺野古の現場でおこっていること、今、名護市の全体の力が必要だということ伝えに名護市街へ出て行きませんか?


                        

☆飛び入り大歓迎!!

     一緒にビラまきをしたい人を募集しています。

 私たちは毎週土曜日、海上行動隊、海人のマイクアピールや
 ビラまき、写真の展示などを行います。皆さんもぜひご一緒に
 参加してください!!


☆作戦決行日:毎週土曜(雨天中止)
      14:
30 じゅごんの家集合!!(名護市城2−13−2)
      15:00 為又・
「洋服の青山」前で街宣開始!
      17:00 「じゅごんの家」でミーティング

市長に直接私たちの想いを届けよう。
  市長に会いたい!ランチタイム市役所行動
ばしょ:
名護市役所
とき:
11:45 市長室要請行動(私達の想いを市長にラブレターとして渡しましょう)
  
 12:00〜13:00 市役所前座り込み(道行く人にアピール、そしてゆんたく。時にはライブあり。どなたでも気軽に参加してください!)

辺野古沖浅瀬縮小案を容認している岸本市長に基地NOと言って欲しい。

沖縄のどこにも基地はいらない!今こそ市民(市外、県外の方も)の意志を示しましょう。

                主催:岸本市長に怒っている市民の会

10月31日(月)
座り込み561日目。 防衛施設局庁北原長官に抗議!! ヘリ基地反対協、名護市長に要請行動。
今日で座り込み561日目です。 何やら二人で相談事。何が出来るので
しょう?楽しみ。
テント村来訪者に熱心に話すカヨウの
おじぃ。
ヘリ基地反対協議会、名護市長に要請行動
ヘリ基地反対協議会が名護市長に要
請行動をしました。
対応したのは末松助役。 緊張した面持ちで話しをする。
ヘリ基地反対協議会の要請は
1、「選択肢」発言が米軍専用基地誘
致、合意案の導火線になったことを謝
罪すること。
2、米軍基地要塞基地となる日米合意
案をいかなる形でも拒否すること。
3、地方自治体、漁業権などを奪う特措
法反対の声明を出すこと。
4、普天間基地の閉鎖と即時全面返還
を求め、県外移設を求めること。

この4点に対して助役の答えは明確で
はありませんでした。
今までの「基地建設案については賛成
。現在の計画は反対。」という市の立場
を明らかにしていました。
ランチタイム市役所行動!
末松助役に「名護市長に怒(わじ)って
いる市民の会」の浦島さんが「市長に
会わせて下さい。」と申し入れる。
今日の"市長へのお願い"はジュゴン
の家の沙織ちゃんです。
「市長。市民と対話してくださーい。」
市長に「基地建設を白紙撤回して下さい
」と訴える沙織ちゃん。
名護市役所職員も聞いてくれていました
防衛施設局庁北原長官に抗議!!
市役所ロビーでの行動を終えて市役
所の中庭へ。
基地はいらない!!決意新たなマサ。 北原長官が来るまで待機。
←あ、あやしい人が立っている・・・ぬぉ
ぉ!!「NO BASE」のしゃれた看板持ってる

→5分後。怪しい人が増殖。逆光のせ
いかな??
皆、強い日差しの中必死に訴えていま
す。
市役所前に立って抗議のお出迎え。
市長を、市民を無視するなんて絶対に
許せない!!
市役所職員に新型輸送ヘリ「MV-22オ
スプレイ」の危険性について説明する
反対協の具志堅徹さん。
真剣な表情でその時を待つ。
市役所の職員と抗議の住民とでお出
迎え。なんか、すごいな。
辺野古の小禄おばぁももちろんきてい
ます。「晋ちゃん、頑張ろうねぇ。」
抗議行動のデモンストレーション!!
「沖縄をバカにするな!!!」
北原長官が来た!! 写真中央が北原長官。住民の抗議に
耳を貸そうとはしない。
すし詰め状態の市役所入り口。
市役所ロビーに着くと報道陣が待ち構
えていた。すでに北原長官は中で市
長と話し合いを持っている。
1時間が経ちマスコミが動き始める。 市長!!一緒に反対してください!!!
←北原長官が出てきました。
→マスコミの取材に対して前回の西局
長と同じ内容で話す北原長官。
「沿岸案について説明させていただいた
。市長からも色々と話があり、こちらも
課題は山積みだ。最終報告でどのよう
な結論が出るかは分からない。」
マスコミの取材に答えているが、沖縄
に"負担軽減"と言いながら、基地を差
別的に押し付けていることは変わりな
い。許しがたい説明会です。
「基地建設を白紙撤回しろぉー!!」「おば
ぁ達の話を聞けー!!」罵声、怒号が飛ぶ
中、厳重な警戒の中で逃げようとする北
原長官。
「沖縄の差別は許さない!!」最後まで顔
を上げられないようでした。
その10分後に名護岸本建夫市長が
記者会見。
「記者会見を始めさせていただきます。」 シャッター音と光の嵐
北原長官が説明されたことは前回の那
覇西防衛施設局長の説明と変わりませ
んでした。
私から申し上げたのは前回と同様に「現
計画には反対」であるということです。

この後、市長の目の前に座っていた小
禄おばぁが「東海岸を一緒に守ってくだ
さい」と請願しました。
市長はおばぁと握手し、「苦労をかけて
おります」と言いました。
しかし、「全ての基地建設案の反対を
明確にしてください。」との要望には「
現計画以外は反対していない。」と言
いました。
市長、本当におばぁの声が聞こえまし
たか?お願いです。全ての計画に反対の
声を上げてください。
その後、市役所に集まった約30名全員
で総括集会。
小禄おばぁは「10年やってきて初めて市
長に会った。しっかりと反対して欲しい。」
と感想を言っていました。
ジュゴンの家の夕飯おまけ。
晋君のおばぁちゃんから男爵芋が届
けられました。いつもお世話になって
います。栄養たくさんつけて頑張ろう!
ゆっくん作「肉じゃが」。濃厚な味がグッド
こちらはマッシュポテト。グワッチーサ
ビタン!!(ご馳走様!!)



10月30日(日)

10・30写真速報


10月29日(土)
第22回 名護街宣大作戦決行!
ここ数日で起こったことを混ぜつつ
アピールする晋君
ナゴガイセン★ダイサクセンの横断幕 今回配るビラはこれだっ!!
今日はとても受け取りが良かった マサもしゃべる!! 歩いている人にも配りまくり☆
特別ゲストの登場!! ターニングポイントと命の海を歌う 行きますよと言う人も何人かいました
ちなみに今日は男らだけの
「ナゴガイセン
       ★
    ムサクルシイ
        ★
      ダイサクセン」(通称N.M.D)
になりました。
ミーティング。みんないつも以上の手ごたえを感じていました。
今日は11人参加。
記念写真デス!!
そのままの勢いでサイレントキャンドルにGO!!。 ・・・・・・静かにしていられない
ハロウィンで仮装をしている米兵の人にも話しかけました
緊急連絡
沖縄の平良夏芽です。

平和行脚中の日本山妙法寺の木津博充上人(69才)が沖縄署に「公務執行妨害」で不当逮捕されました。沖縄署に抗議の声を!
電話 098-932-0110 沖縄市胡屋2-4-3 沖縄署 明日(30日)午前10時から沖縄署
の前で緊急抗議集会を行います。集まって下さい!! 詳細(情報が錯綜して不確かな
部分もあります) 2005年沖縄平和行脚ご祈念をしていた日本山妙法寺の木津上人ら
は、嘉手納 第二ゲート(第一ゲートという話しもある)付近の歩道で座り込みを開始し、基地に入る車にビラを配布していた。警察車両が集まってきて、ビラ配布を禁止、また一行の車両が駐車違反であるので移動するように命じました。一行はビラ配布を中止。木津上人が警察の責任者とおぼしき人物に、禁止と車移動の理由を問いただしたが無視してパトカーに乗り込み立ち去ろうとしたので、パトカーの傍らの歩道の縁石に腰掛け、パトカーの助手席の警察官と視線の高さを合わせて、問いただし続けた。パトカーはそれでも移動しようとしたが、上人の足がタイヤとタイヤの間に入っていて邪魔で走行できないとのことで、公務執行妨害で逮捕。

吉澤弁護士、三宅弁護士が接見しました。


木津上人は沖縄署に拘束されたままです。皆さんお知恵、お力をお貸しください 。

沖縄署へ不当逮捕の抗議の声を!

抗議集会を行います。
明日の10時に沖縄署前に集合!

(電話932−0110沖縄市胡屋2−4−3  沖縄署長)


10月28日(金)
無農薬りんごの差し入れ!!
とっても安全なので、皮ごといただきまーす!
市長室要請行動。
昨日の市長発言を受けて、「どんな基地でも反対してくださいね!」と市長に手紙を渡します。
本日の夜、名護の浜で行われるライブに参加するミュージシャンが市役所行動にも参加してくれました!! 風太郎さんとロクロウさん。渋い声が響きます。
ジュゴンの家もターニングポイントと命の海を歌いました。
名護図書館に初めて行ってきました!
とってもキレイでリゾートな建物にコーフン!
噴水の前でこれからの日本について考えるマサ・・・ 一昔前のアイドル気取りにらせん階段を下っていく3人組。
一日中遊びたくなるような図書館でした。
←八重ソバで、「ビックバンはなかった!!」説について熱く語るタッシー。タッシーに噛み付くサオリ。話しは、国家について、教科書について、戦争とは何かについてと広がっていきました・・・。

横浜から来た学生。ジュゴンの家に初来店!!辺野古に来て2日目にして壊れる・・・
カッチャンTシャツお買い上げ! スカートをいただきました! 今日の夕ご飯は沖縄そば。
三枚肉はしんくんの手づくり!!



10月27日(木)
座り込み557日目
「沿岸案日米合意」「海域使用権限特措法制定」沖縄だけでなく日本全国から報道陣が集まってきました。テント村では村長さんもおばあも新聞記者やテレビ局の取材におわれています。「今のお気持ちは」とコメントを求められた女性の言葉「いろんな案が出ていたけど、どれかに決まると思っていた。(白紙撤回以外なら)今までどおりやれることやってくだけです」
午前10時、県民会議、反対協が県と談判。沿岸案、県内移設に反対するよう、要請行動
県庁に着くと30名もの人達が集まっていました。 知事公室長との話しがしたいと"県民会議"の山内代表が県側と交渉をする。 その話しを廊下で聞く人達。
事前に連絡を入れていたにも関わらず、「部屋がない」「人数制限を」と色々な条件をつけてくる県側。県民会議、反対協は「本来なら県民全体に聞かせるべきこと。私達はその代表者として来ている。しっかりとした場所と時間をとって欲しい。」と要求しました。
11時にもう一度交渉に入ることを約束し、県民会議、反対協は記者会見に臨みました。
この時に那覇防衛施設局、西局長が知事に対して「沿岸案について説明会を開いている」ことが参加者に知らされました。急いで知事室前へ。
知事室前。人が入れない頑丈な扉の向こうで沖縄の大切な未来について話し合われている。
沖縄は無視され続けている。
「知事と話をさせて欲しい」と申し出るが、中には入れてもらえません。 中にはたくさんの報道陣と何人かのSPが見えます。知事と西局長が話しているのは真ん中の部屋。
・午前10時30分
20名ほどの人達が知事室前に座り込み、知事に対して「県内移設反対」をするように求めました。
説明会を終えて出てくる西局長に直接談判しなければならない。
緊張した面持ちで知事がいる部屋を見ていると10時50分頃に西局長が出て来ました。知事室にも正門と裏門がありますが、私達がいるのは正門。
西局長は明らかに裏門の方にマスコミと共に移動している。
国は私達と向き合う覚悟など何もない。走って、裏門に向かいます。
「基地建設はいらない、普天間無条件返還」が沖縄の願いです。それを無視し、県知事が反対すると見るや法律までも変えようとする。絶対に許せない。
裏門に着くと、扉が開き、40名ものマスコミと共に西局長が出てきました。抗議の声が飛ぶ。
「知事と何を話したのですか?」「基地建設をやめてください。」「これ以上どれだけの人達を殺すつもりなのですか!!」
「国がどんな計画で来ようが、私達は命を賭けてでもこの基地建設とめてみせる!!」
西局長は苦笑を浮かべながら何も言わずに去ろうとする。そのあまりに理不尽なやり方にとても怒りがこみ上げてきます。
エレベーターに入る西局長を止めに入る。しかし、警備員が排除しにかかる。「私達の声を聞け!!」「問いに答えなさい!!」
押し問答が続きましたが、西局長は逃げ去るように県庁を後にしました。

・午前11時
県側と交渉した結果、知事公室長との談判が出来ることに。県側はそれでも「人数制限を」との注文をつけていましたが、結局、40名全員が知事公室に入り、公室長との話し合いの場に出ることになりました。
その後、知事公室長と県民会議、反対協の談判が始まります。
「知事はどのように対応したのか。」
「知事は現計画は受け入れられない。県外移設はベターだと言いました。」公室長。
「はっきりと拒否なのか。」
「県外移設ではぶれないと言っておりました。」公室長。
「ぶれないとはっきりお願いします。」
「知事はぶれないとはっきりと言われました。」公室長。
とのこと。県知事を信用は出来ないものの、今のところは「県外移設」を求めていることははっきりとしました。
"県民会議"山内徳心さんから県内移設を認めないよう求める文章が読み上げられます。 読み入る知事公室長。
「県民大会に知事も知事公室長も出席するべきでは?」との質問に「はっきりとはお答え出来ません。」公室長。
"1フィート運動の会"理事の中村文子さん(92歳)から沖縄戦の悲惨さと「絶対に繰り返してはならない」と大切なお話し。
県庁行動の総括。
「県民総決起大会を絶対に成功させましょう!!」と気迫のある言葉。
午前12時30分県庁行動を終えました。しかし、西局長は名護市長に対しても今日中に説明会を行うとのこと。急いで名護に向かいました。
名護市役所前で反対協が街宣行動。 反対協共同代表 大西さん熱弁。
「国の暴挙は絶対に許せない!!」
県民大会(10月30日午後5時与儀公園)チラシも巻いてまーす!!
午後5時20分 西局長名護市役所に現る。 抗議の目の中市長室に入っていく。 真剣な表情で見守る人達。
西局長が出てきました。 おばぁも心配そうに見守っている。 出てきたと同時に報道陣に取り囲まれる。
西那覇防衛施設局局長
「今日は現状の日米間で合意された内容を名護市長にご報告をさせていただいた。」「宿題は色々といただいている。」
「中間報告以降の具体的な指示というものは私の方では受けておりません。」
「最終決定に至るまでに名護市との調整を含めてやっていきたい。」
「住民説明会を開く予定はない。」
←小さな声で淡々と説明した後にそそくさと引き揚げようとする西局長。

→詰め寄る晋君。
「この8年間一度たりとも国は説明責任を果たしていないのです。これ以上、沖縄の人々を、名護の人々を苦しめるというのなら生命を賭けてでも僕は基地建設を止めます!!この名護にはそれだけの価値があるんです!!西局長あなたは何も分かっちゃいない!!おばぁの話しを聞きなさい!!答えなさい!!」
→逃げる西局長。追いかけて抗議する市民。
名護市長
「1800mの滑走路と聞いて正直に驚いている。」
「新聞報道で沿岸案の合意を見てとても驚いた。」
「1800mという長い滑走路、地域に近い沿岸案には私から色々と注文をつけさせていただいた。」
「この8年間名護市は基地建設計画について地元住民ならびに名護市民に説明を行ってきたが、現計画では説明をする自信がない。」
「計画は地元の意向を聞きながら再度調整し、決定をしていきたい。現在の計画では進められない。」
「拒否ではない。」
今日の行動は朝から続いて、終わって見れば午後6時30分。長い1日でした。現在のところ、知事、市長共にはっきりとは言いませんが「現計画には反対」しています。
しかし、油断はなりません。
辺野古の闘いによって政府は計画案自体を変えなければならないところまで追い込まれ、法律さえも変えようとしています。私達は毅然として辺野古の基地建設を止め続けていきます。(詳細は晋くん日誌)
今日のランチタイム市役所行動。市長はやっぱり出てこない。送られてきた市長あての手紙を代読し、市役所に向かって「命の海」を歌う。
そしてランチタイムだからね、Hさんがみんに作ってきてくれたホットドック! 「いつもすいませんね〜」とパクリ 和やかムードの市役所行動。みなさんもご一緒にいかがですか?


沖縄タイムス 2005年10月27日(木) 朝刊 1・2・3面
国権限で海域使用/辺野古沿岸案合意
知事許可権奪う特措法制定へ
 日米両政府は二十六日、在日米軍再編で焦点の米軍普天間飛行場移設先見直しについて、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ兵舎地区を活用し、一部海域を埋め立てる案で合意した。二十九日にワシントンで開く外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、自衛隊と米軍の役割分担と併せて決定する。二十七日午前、那覇防衛施設局の西正典局長が稲嶺恵一知事と面談し、内容を説明する。これを受けて政府は、予定海域(公有水面)の使用権限を知事から国に移す特別措置法案を年明けの通常国会に提出する方向で検討に入った。稲嶺知事の反対で移転が進まない事態を避けるのが狙いで、政府は二○○六年度予算案に建設費を計上、同年度中にも着手する構えだ。環境影響評価に三年、工期五年を見込み、一三年度中の完成を目指す。

 一九九六年の日米特別行動委員会(SACO)最終報告で方向付けた名護市沖への移設が地元の反対などにより、着手できなかった経緯を踏まえた措置だが、県側の反発は必至だ。ほかの在日米軍施設を移転する際にも適用する方針。

 公有水面埋立法は海や河、湖沼の公有水面を埋め立てなどする場合、事業主体が知事の許可を得なければならないと規定している。米軍は墜落事故などによる危険を避けるため、早期の移設を求めており、政府は知事の判断とは無関係に国の権限で埋め立てに踏み切ることが不可避と判断した。

 普天間移設先は、米軍キャンプ・シュワブの兵舎地区を中心に、名護市の辺野古浅瀬と大浦湾にまたがる形で全長千七百二十メートル(滑走路千五百二十メートル)。駐機場などの関連施設が滑走路の北側にT字状にせり出す計上で、米海兵隊の次期主力機となるMV22オスプレイ垂直離着陸機の配備を念頭に置いた規模。

 施設の大半が埋め立てなどを伴う海上建設になり、陸上部分は全体の数10%にとどまる。

 日本側は千五百メートルへの縮小を求めたが、米側の要求を受け入れた。日本側は大浦湾側だけに海上部分を突き出す案を求めたが、米側の要求を受け入れた結果、辺野古浅瀬側にも突き出す形となった。

 辺野古浅瀬側は国の天然記念物ジュゴンの餌となる藻場が広がっており、日本政府は環境への影響を回避するため橋脚方式を検討している。キャンプ・シュワブの兵舎は日本側の財政負担で山手側に移転する。

 大野功統防衛庁長官は同日、県側への理解が得られるかとの質問に「兵力削減や基地の整理・縮小でも合意できており、全体を見て理解、協力してほしい」と述べた。

     ◇     ◇     ◇     

[視点]
「禁じ手」に県民反発必至

 政府が米軍普天間飛行場の移設予定海域(公有水面)の使用権限を知事から国に移す特別法を検討していることが明らかになった。日米合意した米軍再編協議で沖縄側が強く望んだ同飛行場の県外移設を無視し、新たな県内移設案をゴリ押しするための「禁じ手」ともいえる手法を繰り出す日本政府に対する県民の反発は強まるばかりで、移設作業はより混乱する。

 政府が沖縄の米軍基地を強制的に使用するため、法律を変えたことは初めではない。一九九五年、米兵暴行事件に端を発した反基地の県民世論を背景に、当時の大田昌秀知事は米軍軍用地強制使用に伴う代理署名を拒否。米軍用地の強制使用の矛盾が露呈し、県内外で予想を超える反基地のうねりが広がった。

 政府は、日米安保体制の根幹を揺るがしかねない事態に、米軍用地の強制使用手続きで代理署名など県の権限を国に移すため、米軍用地特措法を改定。沖縄の抵抗を封じ込めた。

 今回の米軍再編協議の過程でも、沖縄だけに基地を押し付けてきた政府の本音が顔をのぞかせた。小泉純一郎首相は昨年十月、沖縄基地の本土での応分な負担の必要性を提起したが、本土各地で反対の声が上がるとあっさり主張を引っ込めた。一方で、戦後六十年間も日米安保の重荷を背負ってきた沖縄からの切実な声には背を向け、再編協議も最後まで事務方に丸投げしてきた。

 そして、沖縄側に新たな負担を強いる県内移設案が日米合意した直後、間髪を入れず特別法の検討に入った。そこには、日米同盟の安定維持には地元の意向は無視し、数の論理で手段を選ばない政府の強権的なメッセージが垣間見える。

 再編案の中間報告のとりまとめに向け、二十七日から政府による地元への説明が始まる。再編案の中身以前に、県民の代表である稲嶺恵一知事は、政府のこうした差別的な手法の真意をただし、明確な異議申し立てのメッセージを発するべきだ。(政経部・稲嶺幸弘)

建設短縮に自信/町村外相

 町村信孝外相は二十六日午後、米軍普天間飛行場の新たな建設場所としてキャンプ・シュワブ沿岸案で米側と合意したことについて、「今回の案はかなり浅瀬に近いこともあり、(現行案より)完成時期は短縮できると考えている」と述べ、同飛行場の早期返還につながるとの見解を示した。新たな案の政府内の取り扱いについては「(米側と)最終合意した後に閣議決定することになる」と述べた。最終報告は来年以降になるとの見通しを示した。

 地元の合意に向けては「理解を得られるかはやってみないと分からない」と、厳しい局面も想定した認識を示す一方で、「在沖海兵隊が数千人規模で削減されることも含め、沖縄の皆さんに負担軽減の姿を示したい」と自信をのぞかせた。

 また、地元の調整を図った上で、最終報告の内容が変更する可能性については「そうでなければ中間報告が最終報告になってしまう。(中間報告の表現も)『検討』など中間的表現になる」と、日米最終合意までに部分的な修正も可能とした。


晋くん日誌
0月27日(木)
・防衛施設局が県と市に説明。怒りの抗議行動!!

〜怒り〜
ホームページをご覧になっている皆さん、現在の状況をとても不安に見守っているかと思います。未熟ではありますが、私から見た現状を報告していきます。

私は怒っています。
政府は反戦地主の人達による「基地を解体し、生産の場へとりかえそう」という人としての行動に恐れをなして「米軍用地特別措置法」を改悪しました。
政府は96年に反戦地主の人達の「基地、戦争ではなく、生産の場を」という"契約拒否"の行動によって基地の土地使用の権限を喪失しました。
それに対して「地主の契約更新、県知事の代理署名なしでも米軍用地の接収」を"米軍用地特別措置法"を改悪することによって可能としました。
分かりやすく言えば「ここはアメリカと日本政府のものだから、人殺しのために勝手に使ってよい」ということです。
有事法制は沖縄ではすでに適用されている現実です。

今回の特措法制定問題は辺野古の行動のうねりに恐れをなした国が「だったらルールを変えてやる」と暴挙に出たことに他なりません。
特措法制定は沖縄の陸も海も「沖縄県のものではなく」「日米両政府のもの」とすることです。
この政府は沖縄をないがしろにすることだけでは飽き足らず、生活の場でさえも奪うつもりでいます。
それはすでに戦後の嘉手納ラプコンによって空を奪われ、96年には陸を奪われ、そして今回海も奪うことになります。
こんなことが許されていいのでしょうか。いいわけはないのです!!

しかし、国は辺野古の長い、長い行動によって公にことを拡大せざるおえないところまで追い詰められています。
国は辺野古の8年間と500日間の闘いに負けたことをはっきりとさせたのです。
だからこそ、さらなる強行手段を用いて状況を覆そうとしています。

沖縄に住む私達は、全国の、世界の心ある人々はだからといって覆されているでしょうか。そんなことは決してありません。
私達が希望の炎を燃やし続ける限り、絶対に基地建設止められるのです。
覆され、基地建設をとめられ、燃え広がる状況をこの国は目の当たりにすることでしょう。
そうではありませんか!!みなさん!!


〜県、市に那覇防衛施設局、西局長が説明〜
午前10時、辺野古の私達は県庁へと向かいました。
県民会議、反対協が「県は県内移設反対を徹底しなさい」言うことを談判するためです。
県庁に着くとすでに知事公室長との面談の交渉に入っていました。
県側は「人数制限をしたい」と言ってきました。
県民会議、反対協は「これは実際は県民全体が聞くべきものです。密室で話し合っていること自体が間違っているのです。人数制限などする必要がどこにあるのでしょうか。」
県側「部屋が開いていないのです。」(事務室のような場所での交渉が続いている)
県民会議、反対協「事前に連絡が行っていながらそれはどういうことですか。用意するべきでしょう。それはとても県民の代表として来た私達に失礼です。」
県側「部屋が開いていないのです。」(繰り返す)
県民会議、反対協「ならばもう一度上と調整してきてください。」
県側とは話にならない状況があったため、もう一度11時に交渉に入るとして県民会議、反対協は記者会見に臨みました。

集まった人達はその場で那覇防衛施設局、西局長が知事に対して「沿岸案の説明」をしていることが分かり、知事室前に20名ほどで詰め寄りました。
知事室には二つの出入り口があります。本来出てくる場所で待機し、西局長を持ちました。しかし、西局長は裏口から出ようとします。
走っていって西局長に詰め寄ります。
マスコミと警備員にモミクチャにされながら
「沿岸案なんて許されない!!」「辺野古のおばぁ、おじぃ達の話をきけ!!」「これ以上なぜ人殺しがしたいのですか!!」「私達は基地建設を絶対に止める。命を賭けてもとめやる!!」と叫びました。
西局長は苦笑しながら何も言わずに去ろうとしている。エレベーターの扉をこじ開けて「話を聞いて答えろ!!」と叫びますが、警備員に押し戻され、手を外され、またモミクチャにされる。逃げられた。
県知事と西局長とのやりとりは後日書き込みます。

その後、知事公室長と県民会議、反対協の談判が始まります。
「知事はどのように対応したのか。」
「知事は現計画は受け入れられない。県外移設はベターだと言いました。」公室長。
「はっきりと拒否なのか。」
「県外移設ではぶれないと言っておりました。」公室長。
「ぶれないとはっきりお願いします。」
「知事はぶれないとはっきりと言われました。」公室長。
とのこと。県知事を信用は出来ないものの、今のところは「県外移設」を求めていることははっきりとしました。

〜市長にも説明〜
午後5時20分に市長に対しても西局長は説明をしています。
説明後に出てきた二人の発言です。

西那覇防衛施設局局長
「今日は現状の日米間で合意された内容を名護市長にご報告をさせていただいた。」「宿題は色々といただいている。」
「中間報告以降の具体的な指示というものは私の方では受けておりません。」
「最終決定に至るまでに名護市との調整を含めてやっていきたい。」
「住民説明会を開く予定はない。」

名護市長
「1800mの滑走路と聞いて正直に驚いている。」
「新聞報道で沿岸案の合意を見てとても驚いた。」
「1800mという滑走路、地域に近い沿岸案には私から色々と注文をつけさせていただいた。」
「この8年間名護市は基地建設計画について地元住民ならびに名護市民に説明を行ってきたが、現計画では説明をする自信がない。」
「計画は地元の意向を聞きながら再度調整し、決定をしていきたい。現在の計画では進められない。」
「拒否ではない。」

この時も集まった20名で西局長に詰め寄りましたが、西局長は苦笑さえも浮かべて慌てて去っていきました。
怒り心頭です。
全国の皆さんに確認します。これは「決定」ではありません。海上基地建設案も沿岸案も県民の8割は否定しているのです。つまり、そのどちらであっても「案」でしかないのです。
「決定しているのではないか」と思われるのも仕方ないような報道がされていますが、間違っています。
辺野古にいる私達は絶対に基地建設を止めます。
全国の代弁者であり、当事者である皆さんがあり続ける限り、辺野古の火は消えず、さらなる大きな炎となって集まることでしょう。
厳しい闘いが待っていることも確かです。それに備えて私達は現段階で出来る全てを今に注がなければなりません。
私達も今の状況下で精一杯のことを行います。全国の皆さんも私達と共に精一杯のことをしていて欲しい、そして、辺野古の状況が変わった際には駆けつけて欲しいと思います。
そして基地建設のなくなった場所で出会うことを切に願います。

絶対に止めましょう!!!
こんな理不尽な国なんていらねぇ!!!生き方までは支配出来ない!!!
真実の声は辺野古にあるのです!!!基地建設を止めましょう!!!




 沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と200日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。

 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。

 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。

 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。

 東京の国会前座り込みで知り合ったアユさんは、バッグパッカーを夢見てお金を貯め、その仕事をやめたばかりで辺野古へ行き、今のところ彼女の旅は辺野古でとどまっている。

 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。

 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。

 彼らは全員20歳代だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。
家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。
彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて
闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。
世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。
 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。
 どうしても、今止めなければならないから。
 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。
 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。

 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。
先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。
東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて
いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。
 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況
の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。
 ものすごく個人的な話ではある。
でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。
自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。
大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。
足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。
周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。

 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 
 私たちは、辺野古で闘う若者たちの友人・知人・家族として、彼らの生活を支えるためのカンパを訴えます。
彼らが心置きなく行動するためには、1人・1ヶ月の生活資金・5万円ぐらいかかります。5万円×5〜6人を毎月作りたいと思っています。

 東京の「街」では、できるだけ多く地域の人たちが参加してくれるために「100円カンパ」を始めました。
 家族会も結成されました。

 ご協力をよろしくお願いいたします。
 太田武二(命どぅ宝ネットワーク)、ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中馬由紀子(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、
1/15 現在
郵便局 10020−84023361
赤羽 則子

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