「ジュゴンの家」の賛助会員、募集中 | ||||||||||
「ジュゴンの家」は沖縄・名護にあるリサイクルショップです!!お店を開けつつ、「基地建設をとめたい!!」という思いで、日々行動しています。 「ジュゴンの家」では「ジュゴンの家」を支えてくださる賛助会員を募集しています。 「力になろう!」という皆さま!! ぜひ、賛助会員になってください!!よろしくお願いします! 会員申し込みは・・・FAXまたはメールでお知らせください。 電話&FAX 0980−54−2948 e−mail dugonghouse_in_okinawa@yahoo.co.jp | ||||||||||
会費・・・月1000円、年10.000円となります | ||||||||||
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よろしくお願いいたします |
2月Eへ | 日誌indexに戻る | 3月Aへ |
参加者募集!!! |
阻止船に乗る人、海上のやぐらおよびテントで座り込みする人が必要です!!! 少ない時間でも、行動できる人は集まってください!! あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!! どうか、よろしくお願いします!! 辺野古に来てください!!! |
冬を迎え海の上はだんだん寒くなってきています。普通の衣服では、濡れて風に当たっているとかなり寒いということです。 海上行動用のダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!! |
海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願い!! | |
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!! カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。) | |
●郵便局 17040−14225611 西 陽子 |
国会前座り込みホームページヘ!! |
辺野古より緊急連絡!!! | |
平和市民連絡会の平良夏芽です。 12月10日午前、辺野古沖のやぐらで反対派男性が作業員に突き落とされ、 パイプに後頭部を強打し気絶して救急車で搬送されました。 被害者は意識を取り戻し、 大事には至らなかったようですが24時間の経過観察という段階です。 しかし、那覇防衛施設局は すぐ近くで見ていて、 救助指示も出さず傍観していました。 被害者が気を失って 流れに流されていくのを傍観したのです。 しかも、本人が自分で落ちたと言い張っています。 現場では、施設局に雇われた業者を「敵」としないように努力してきましたが限界です。 3人目のけが人が出て、しかも三人目が気を失って救急搬送されるに至っては、 全国に呼びかけて業者にも抗議をしていただく必要があると判断しました。 以下に業者の名前、住所、電話番号を記します。 想いのある方は、抗議の電話を入れてください。 サンコーコンサルタント 東京都江東区亀戸一丁目8−9号 電話03-3683-7111 FAX03-3683-6264 同沖縄事務所 浦添市牧港1-62-19 電話098-875-6181 那覇防衛施設局は、抗議の電話を弁護士がしている途中、 15分ほどで一方的に電話を切りました。 |
ボーリング用のやぐらが珊瑚を破壊・・・!! 海底に潜った夏芽さんたちが撮影した写真が見られます!! ここをクリック!! |
座り込み320日目 | ||||
朝日と一緒に海に出発!! | ねむる人達・・ | |||
今日の作業は前から約束していた、油漏れ対策。 | ||||
ボーリング機材から漏れた油。いつ海に漏れ出してもおかしくありません。 | ||||
ビニールシートをはがして機材をどかす。 | そこに突然突風が!! 飛んでしまうお菓子・・ まこちゃんがんばる。 | |||
こんなに大量の油が染み込んでいました | 一応拭いて、 | これ以上染み込まないように板を敷きます。その後、油が染み込んだ布を交換して帰っていきました。9時半から11時まで一時間半作業が続いて、午後は何も作業をせずに帰っていきました。 | ||
単管にイカが配られました!! | テントに戻ると、自家製ストーブでイカが焼かれていました。 | おいしそ!! | ||
1ヶ月がんばった学生たちが、辺野古を去ります。地元でもがんばってね!! | ||||
かっちゃんが若者たちのためにお楽しみ会を催しました!! やんばるくいなーずの演奏。 歌も演奏もうまい!! |
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かっちゃんのカラテ披露。 かっこいー!! カチャーシーで大盛り上がり! |
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その後、場所を移動。。辺野古の未来について若者たちが遅くまで語り合ったのでした・・。 | ||||
イヤイヤイヤイヤイヤ! |
沖縄タイムス 2005年3月4日(金) 朝刊 1・31面 |
ジュゴン保護米法適用/連邦地裁 国防総省の主張退ける 米軍普天間飛行場の移設予定地、名護市辺野古沖に生息する国の天然記念物ジュゴンの保護を、日米の自然保護団体が求めた訴訟で、サンフランシスコの米連邦地裁は三日までに、被告の米国防総省とラムズフェルド長官から出されていた訴え却下の申し立てを退けた。
同地裁は判断に際し、三十一ページの詳細な文書を作成。一九九七年と二〇〇一年の二度、辺野古沖海上基地の運用条件や概念をまとめた文書の策定などで、米政府の関与、指示があったと認めた。 米国防総省が「日本単独の行為で、米国の関与はない」と答弁したことに対し同地裁は文書の中で「不誠実な主張」と批判。基地建設の本体工事に着手する前に調査や住民・市民団体を含む関係者との協議など、NHPAが定める手続きに入る必要性を強調している。 原告の日本環境法律家連盟、関根孝道弁護士は「今後、原告が求めている情報開示手続きに基づき、基地建設の過程が明らかになる。原告勝訴なら、米国法が命じる手続きの履行が必要となるため、建設に米国側からも支障が出てくる可能性がある」と指摘している。 [ことば] 米ジュゴン訴訟 日米の原告が昨年九月、米国の文化財保護法に当たる「国家歴史遺産保護法」(NHPA)に基づき、名護市辺野古海域のジュゴンを保護するよう求めて米連邦裁判所に提訴。被告の米政府側は訴えの却下を求めていた。実質審理入りに向け(1)辺野古海域の基地建設が米国政府の行政行為に当たるかどうか(2)ジュゴンに影響を与える基地建設が「同等の意義を持つ他国の法で保護された文化財も保護対象とする」と定めたNHPAに違反するかどうか―が主な争点だった。 米文化財保護法(NHPA) 正式名称は「国家歴史保存法」。「国家歴史的遺産保存法」とも訳される。1966年に制定され、数回の法改正で先住民文化の保護、世界的遺産の保護の潮流にも対応。世界遺産条約の米国国内執行法でもある。米国政府の「連邦行為」に対し「同等の意義を持つ他国の法で保護された文化財も保護対象」とする「域外適用」の項目がある。 「ジュゴン保護に光」 名護市辺野古沖に生息するジュゴン保護について、米文化財保護法(NHPA)の適用を認めた米連邦地裁の判断。県内や日本国内の原告らは「優れた判断」と高く評価し、「実質審理でも勝訴し、日米両政府を海上基地建設断念に追い込みたい」と期待した。 昨年八月、同裁判の口頭弁論に出廷し、保護の必要性を訴えたジュゴン保護基金委員会の東恩納琢磨事務局長は「米政府を相手に裁判に持ち込んだ意義は大きい。ジュゴン保護に向けて審理が進んでほしい。希望の光が注いできた」と同地裁の判断を喜んだ。 「基地建設の海上埋め立てとジュゴン保護は両立せず、世界の環境保護基準から見ても許されるものではない。稲嶺知事は、保護を求める多くの声に応じ、ベストの選択をしてほしい」と話した。 普天間飛行場代替施設建設に伴うボーリング調査の差し止め訴訟にも原告として参加する「命を守る会」の金城祐治代表は「日本は海洋国でありながら海の環境保護に無関心だ。米国と沖縄、両方の裁判で、環境保護の世論を高めていきたい」と力を込めた。 日本環境法律家連盟で同訴訟を担当する増田尚弁護士は「今回の判断をした裁判官が引き続き審理を担当するため、最終的な判決にも期待できる。日米両政府は、計画を見直さざるを得なくなるだろう」と話した。 |
座り込み319日目 | ||
今日は天候が悪く、朝からテント待機 | テントに着くと炭をおこす | 帽子も乾かす |
9時までナイワイで作業員の動きを 伺う |
が、結局作業員、浜に現れず | 外洋用の大型船はものすごい勢いで 水が出るホースで洗うようだ |
そして、気がつけばお昼に・・・・ | ナイワイ待機の人間は堤防で お弁当を食べました |
今日はまるでバカンスのようでした |
事務所に帰ると晋クンが寝ていました | 晋君のお弁当が来る | 晋君のが弁当を食べる |
グリーンピースのヤンさん いつもボートを出してくれて とても助かっています |
弁当を食べているところに キャンディーを進められ、絶句 する晋君 |
ナイワイに戻るとみんな堤防から シュワブを監視 |
今日は何もおきなかったので若者達の姿を追います | ||
相撲大会が幕をきった・・・ | 土俵入り | はっけよ〜い |
のこった! | 土俵際のせめぎ合い | たけしの負け |
2場所目 | 二人ともいい勝負をするも | 結局たけし負ける・・・ |
罰ゲーム | 扇 | ピラミッド |
←とみしょうやの「マシュポの小袋」を 買ってもらいました」 かなりお気に入りの様子→ |
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夕方若者3人の壮行会 をしました |
嘉陽のオジィが話す | |
←今日のメニューはキムチ鍋 この後よるまで騒ぎました→ |
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QAB 琉球朝日放送 2005年03月03日(木曜日)PM 06 : 30 | ||
ジュゴン裁判保護へ動く
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QABで放送されている「検証 動かぬ基地」のページが出来ました 今までの全ての放送が見れます。ぜひ見てください | ||
沖縄タイムス 2005年3月3日(木) 夕刊 1面 | ||
米軍ヘリ普天間帰還/沖国大入試中に着陸 在沖米海兵隊は三日午前九時五十分ごろから、スマトラ沖地震による津波被害の救援活動で、東南アジアに派遣したCH46中型輸送ヘリ六機を含む第三六海兵航空群を普天間飛行場に帰還させた。伊波洋一宜野湾市長は同日午前、在沖米海兵隊基地司令官のジェームス・フロック准将にファクスで帰還の即時中止を要求。同市職労や普天間爆音訴訟団は第三ゲート前で抗議集会を開いた。
沖縄国際大学では午前十時から一般入試(後期日程)を始めた。海兵隊は二日、「入試に影響のない昼食時間の午前十一時半から午後一時に海側から進入し、大学から遠い位置に着陸するよう努力する」と伝えていた。 しかし、試験中の三日午前十時五分と同十一時十五分にそれぞれ一機が着陸した。 同午後零時三十五分までに着陸した計六機はすべて海側からではなく、勝連町方面から宜野湾市野嵩上空を通過、普天間飛行場の駐機場へ真っすぐ進入した。 着陸したヘリから降りた兵士は出迎えを受け、荷物や物資が積み下ろされた。 伊波市長は要請で「墜落事故で甚大な被害を受けた沖国大の入試日にヘリを飛行させることは、大学や市民の声を無視したもの。市民、県民を愚弄するヘリ飛行は断じて認められない」と批判。その上で「米本国の基地に分散させるなどの方策で、危険極まりない『普天間』への帰還の即時中止を求める」と抗議した。 県の府本禮司知事公室長は「県は普天間飛行場の危険性を限りなくゼロに近づけるよう求めており、ヘリが増えるのは好ましくない。地元に配慮し、危険性をゼロに近づけるための具体的な方法を考え、対応してもらいたい」と不満を示した。 「試験中騒音職員怒り」 「入試の日に合わせて帰還するとは、怒り心頭だ」。インドネシアのスマトラ沖地震の人道支援に派遣されていた在沖米軍のCH46型ヘリが三日、宜野湾市の沖縄国際大学に隣接する普天間飛行場に次々と着陸。昨年八月のヘリ墜落以来、米軍に振り回されてきた同大の怒りも頂点に。黒島安武事務局長は「基地がある限り、被害はなくならない。大学を挙げて、恒久的な飛行停止を実現したい」と語気を強めた。 帰還ヘリは、事前の通告のあった午前十一時半ごろから姿を見せ始めた。しかし午前十時の入試開始前には、飛行場内で別のヘリがホバーリングを開始。大学職員が、屋上から基地を見ると、ヘリが野嵩方面に飛んでいくのが見えたという。職員は「普段よりも騒音がひどい」と話し、入試当日の無神経な米軍の振る舞いに怒った。 試験が始まった後も、しばらくエンジン音がキャンパス内にとどろいた。入試の日に相次いだ米軍被害に、黒島事務局長は「ますます怒りがこみ上げる」と憤った。 外務省沖縄事務所の堤尚広副所長も訪れ、校舎屋上から職員とともに、帰還を見守った。 堤副所長は「米軍は入試に最大限配慮すると言っていた。その配慮がどういう状況だったのかを確認し、後日、米軍に伝える」と話した。 同大では事態を重視。文部科学省あてに「受験生や教職員の不安をかきたてるだけでなく、大学に対するマイナスイメージも生まれ、大学の存亡にかかわる。政府の関係部署に対して速やかな対応がなされるよう求める」とする文書を送った。 同大では例年、入試日程などを那覇防衛施設局を通して、米軍に伝えている。本年度も昨年九月には連絡を入れていた。三日は午前十時からスタート。二百七十六人が志願している。 | ||
琉球新報 2005年3月3日 木 10:47 | ||
普天間飛行場、米軍ヘリきょう帰還 沖国大入試で反発【宜野湾】在沖米海兵隊は2日、那覇防衛施設局などに対し、スマトラ沖地震の被災地救援で1月から派遣されていた沖縄の第36海兵航空群所属ヘリが3日の正午ごろにも、宜野湾市の普天間飛行場に帰還すると連絡した。機種、機数は明らかにしていない。この日は米軍ヘリ墜落事故の現場となった沖縄国際大学の一般入試後期日程の試験日で、同大は反発している。イラク派遣や被災地支援で国外に派遣されている在沖米海兵隊の帰還第一陣となる。県や宜野湾市は派遣ヘリ部隊の帰還に強く反対している。 宜野湾市に入った施設局の連絡によると海兵隊側は「大学が昼休みに入る午前11時半から午後1時の間に到着するよう努力する。着陸地点も、大学から一番離れた場所にする」と伝えた。海兵隊は当初、帰還の時間帯を「日中」と伝えていた。これに対し外務省沖縄事務所は帰還日の変更か試験時間内の着陸を避けるよう強く要請した。帰還するのはCH46E中型輸送ヘリとみられる。 在沖米海兵隊は1月4日、兵員400人とCH46E中型輸送ヘリ6機をドック型揚陸艦フォートマクヘンリーに載せ、ホワイトビーチを出港。同6日にインドネシアに到着し、水や食料、医療品の供給などの支援を実施していた。 |
座り込み318日目 | ||
グリーンピースのボートが むさくるしい男船に・・・ |
今日はナイワイと第2ポイントデス | |
午前中、第2ポイントには 見向きもせず、 第5ヘ向かったサンコーを追いかけに 行くナイワイ |
昼のお弁当船はグリーンピース船。 ゴムボートはやっぱり便利だ |
午後もサンコーは第2ポイントにはよらず、第5へ直行。ナイワイも追いかける |
←作業船を追い抜いて、先に到着→ | ||
第5ポイントでは、みんな 飛び込む用意をして待ち受ける |
今日の第5は若かった。 | 交渉の末、クランプを取り替えることに |
ボートの片付け。 こうやって手で運んでます→→ |
ジュゴンの家日誌 | ||
←←ヤング女の子2人組。一昨日、卒業式だったそうです!オメデトウ! 伊江島のガマに行った時の話をしてくれました。 東京から来た学生。→→辺野古のこと、日本のこと・・いろいろお話をしました。雨の中来てくれてありがとう!! |
座り込み317日目 | ||
キャンプシュワブゲート前行動 | ||
←海上行動隊、港にてミーティング 辺野古ボーリング訴訟 今日は第1回口頭弁論です。笑顔で行ってきます! → |
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テントで無線を聞いていると、「サンコーコンサルタントが第2ポイントでクランプ交換作業を強行し、その後第5ポイントでも緊迫した状況が続いている」と連絡が入った。11時ころ第5ポイントへ向かう。2隻の船で守ってたところ、飛び込み隊を乗せたナイワイ号が応援に駆け付けたため、作業強行は諦めた様子。到着するころ、作業船は去っていきました。 | ||
風の吹く日はこの人が・・・ | 午後、再び作業船が現れる。 | こちらも応援増員。第3ポイントから飛び込み隊がくる。阻止船4隻、阻止隊約20名になる。 |
厳しい顔で飛び込んで警戒態勢。を撮りたかったのに、カメラを向けたらこんな笑顔でした。 | 近づいたら飛び込みますよ、飛び込んだら怖いですよ〜、とマリアンヌ。 | やぁ〜、夏目さん、これじゃぁ作業できませんわ。諦めますよ。また明日来ますわ(^ ^;) |
と、言ったかどうかは知りませんが、作業船は早々に引き上げて行きました。 警戒態勢解除。 ということで海パンいっちょで泳ぐ人発見。本当です。 |
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潮引きまくりで歩きまくりの人。 | ナマコにちょっかい出して攻撃された人。白い液がぁ!予備知識はあったけど、ちょっと触っただけでこんなに! | 海人の船。コケ掃除する晋くん。 晋くんは泳げます。本当です。 |
撤収後、差し入れのテビチ汁をすすりながら、裁判記事を読む。 | 今日の海上行動報告。 | 浜辺で寛ぐ人々。ではありません。テント前で報告を聞いてます。 |
本日の裁判報告、原告団長元名護市長
渡具知裕徳氏より。 第1回目はすばらしい裁判でした。漁民の山城さんの意見陳述では法廷中が聞き入っていました。 沖縄タイムス夕刊掲載写真→ |
沖縄タイムス 2005年3月1日(火) 夕刊 1面 | |
辺野古ボーリング訴訟/那覇地裁で原告側陳述
「環境破壊調査中止を」国、棄却求める 米軍普天間飛行場の代替施設建設に伴い、名護市辺野古沖で進められているボーリング調査に反対する市民や近隣海域の漁業者ら県内の六十八人が、自然環境が破壊されているなどとして、国を相手にボーリング調査の差し止めを求めた訴訟の第一回口頭弁論が一日午前、那覇地裁(窪木稔裁判長)であった。原告側は漁業者ら三人が自然環境の破壊などを理由に差し止めの必要性を意見陳述し、基地建設計画そのものの不当性などを主張。国側は「主張自体が失当」と請求を棄却するよう求めた。
同訴訟は辺野古沖で進められる代替施設建設の是非を問う国内で初めての訴訟。原告側は同調査を軸に、新たな基地建設そのものの違法性を問うている。 訴状で住民側は、ボーリング調査によって、原告らの人格権や環境権、平和的生存権が侵害、または侵害される危険が切迫していると主張。これに対し国側は「内容は不明確で漠然としており、どの範囲までの利益が含まれるか明らかではない」と反論した。 さらに国側はボーリング調査について「必要な措置を講じた上で行っており、削る穴も極めて小規模」と主張。原告の漁民が主張した漁業権侵害に対しては「漁業法の解釈を誤っている」と述べた。 弁論では原告側三人が「日米両政府は基地建設を見直すべきだ」などと意見陳述、差し止めの必要性を強調した。 第二回口頭弁論は四月二十六日に行われる。国側は訴状に対する詳しい認否を行い、原告側は答弁書に対する意見を述べる。 漁業者十二人を含む十七人の追加提訴の審理は、第二回弁論から併合される見通し。 移設問題は情勢を注視/名護市長 岸本建男名護市長は一日開会した市議会定例会(宮城義房議長)の二〇〇五年度施政方針の中で、課題となっている米軍普天間飛行場の同市辺野古沖移設について、「県内および国内外の動きを注視し、慎重に対応したい」と述べた。 代替施設に関しては「住民生活や自然環境へ著しい影響を及ばさないよう最大限の努力が必要」とこれまでの見解も強調した。 「基地で海が死ぬ」/原告ら掘削中止訴え 「サンゴの海を壊すな」「新たな基地建設を許さない」。一日、那覇地裁で開かれた辺野古沖ボーリング調査差し止め訴訟の第一回口頭弁論。名護市での新基地建設に反対する原告の市民や漁業者らが「生活の場である海を守ってほしい」などと訴え、那覇防衛施設局によるボーリング調査の中止を求めた。地裁前で開かれた事前集会には原告や支援者ら約四十人が参加。口々に「裁判官の良心に訴え、国の違法行為を止めよう」と気勢を上げた。 意見陳述で原告の漁業者、山城善勝さん(61)=国頭村=は「基地が造られれば、周りの海は死んでしまう。ボーリング調査でリーフが破壊され、海が汚れる。魚やイセエビがたくさんいる豊かな海をつぶすなんて信じられない」と話した。 「一度死んだ海は簡単には元に戻らない。漁師として海を壊す行為を許すことはできない」と強調。「漁業権は補償金をもらうためでなく、海を守るためにある。私は沖縄の海を守るために漁業権を使う。どうか沖縄の海を守り、私たち漁師の生活を守ってください」と訴えた。 原告団長で元名護市長の渡具知裕徳さん(75)は「戦後の食糧難の時、生活の糧を与えてくれた海に対し、名護市民は感謝と恩義を忘れていない。日本で唯一ジュゴンのすむ海を本当につぶしていいのか」と問い掛けた。 基地の県内移設を許さない県民会議共同代表の山内徳信さん(70)は「小さな沖縄に75%の基地が押し付けられている状態は沖縄差別だ。辺野古の海は、県の指針でも保全すべき第一級の宝の海。基地建設計画を見直すべきだ」と語った。 法廷では、意見陳述が行われるたびに傍聴席から拍手があがり、裁判長が再三にわたって注意を促した。国側の代理人がボーリング調査の進ちょく状況について答えた際も、内容が間違っているとして傍聴席から大きな声が上がった。 事前集会では、原告や支援者らが「国の横暴を許さないぞ」「日米両政府は県内移設を断念せよ」とシュプレヒコールを繰り返し、辺野古沖でのボーリング調査の中止を訴えた。 池宮城紀夫弁護団長は「現地での闘いと裁判の両輪で、日米両政府を移設断念に追い込んでいく」と決意を語った。 |
2月27日〜28日 晋くんin大阪 写真速報 |
大正区に到着。辺野古から5時間か けて着きました。 |
今回の晋くんの報告会を行う大正伝道 所。寝る場所のお世話もしてもらいまし た。 |
大正区は沖縄の街です。「ナカモト」「シ マブクロ」といった沖縄の名前が並んで います。 |
お昼は「沖縄料理店いっちゃん」で。 | 沖縄そばをいただきました。「大阪に来 てなぜに沖縄ソバ?」思われるかもしれ ませんが、大正区は沖縄なのです。 |
報告会の前の風景。沖国大生も報告と 歌を歌うので打ち合わせ。 |
大正伝道所の礼拝堂で報告会の始まり 。沖国大生四人からの報告。 |
「生まれたときから基地があって基地が あってあたりまえと思っていたけど、沖 国大にヘリが落ちて意識が変わった。 うまく言えないけど基地はいらないと思 っています。」 |
「名護出身なので辺野古のことはとて も身近に感じています。出来ることか らやっていきたいです。」 |
「県外出身で、基地のことなど知らずに いました。沖国大にヘリが墜落して今は 真剣にそのことと向き合おうとしていま す。」 |
元従軍慰安婦全国集会の報告。 | 晋くんからの辺野古報告会。50人以上 の人達が聞きに来てくれていました。 |
会場の周りでは辺野古の写真の展示 が行われていました。 |
会場の様子。 | 辺野古座り込みの日付は毎日変わりま す。 |
大正伝道所での報告会が終わった後 にJR大阪駅前で毎週土曜日に行われて いる大阪行動にも参加しました。 |
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大阪行動終了後、近くの会議室で辺 野古報告会。 |
3時間に渡って色々な話をしました。熱 が入る晋くん。 |
みんなで記念撮影!! |
その後はえんえんと飲み会。 | 同じ二十歳で意気投合する二人。全然 20歳には見えない二人。 |
最後の日。大正区にある「関西沖縄文 庫」をたずねました。突然の来訪にも関 わらず、金城馨さんが話しをしてください ました。 |
晋くん日誌 | |
2月27日(日) ・大阪に行ってきました。 大阪の大正区に辺野古の現地報告をして欲しいということで平和(ぴょんふぁ)の会に呼ばれて行ってきました。 大阪には初めて行きました。 関西空港に着いて電車に乗ろうとしていると走ってきたニィニィが「おい!!にぃちゃんわしが乗る電車はこれでいいんか!!」と聞かれてまずびっくり。どう考えてもにぃさんの方が大阪長いだろうに。 電車に乗るとまたまたびっくりおっちゃんが全員「スポニチ」を読んでいる。ついでにタイガースの話でもちきりだ。おばちゃんは化粧がとっても濃ゆい。若いねぇねぇは亜季ちゃんみたいのばっかり。衝撃的な光景でした。(明らかに偏見があると思いますが。大阪の皆さんすみません。) 沖縄に行って4年、都会的な生活など送っていなかったので電車の音が妙に懐かしく感じました。 大正区まで約5時間かかりました。 大正区は沖縄です。人口の半数以上が沖縄出身者です。強制労働と差別の歴史を語り継ぎ、現在も闘い続けている街です。 「ナカソネ薬局」「上原電気」「東江食事処」などなど、スパムやゴーヤーなど沖縄の食べ物がたくさん商店街に並んでいます。 大正伝道所に着くと伝道所の牧師さん上池さんが出迎えてくれました。「昼ごはんまだでしょう?おいしい沖縄ソバを食べられる所があるから地図を書くね。」と地図を手渡されました。 大阪に来たらお好み焼き、たこ焼という人がいますが、大正区は沖縄、沖縄は沖縄ソバです。 「沖縄料理屋いっちゃん」で三枚肉そばをいただきました。「あんたぁ、どっから来たね?」「えっと、名護からです。」「そうねぇー名護ー。うちの姉が住んでいるよ。」とそば屋のおばちゃんから声をかけられました。 沖縄言葉が普通に響く街です。 ・大正伝道所報告会。 午後2時から大正伝道所で報告会。沖縄国際大学からも4名呼ばれ最初に報告がありました。報告会には70名ほどの人たちが集まっていました。 「私は名護の出身です。辺野古のことはいつも気になっています。名護の知り合いから"普天間基地の負担軽減になるのではないか"と言われましたが、そうは思いません。沖国大には普天間基地のヘリが墜落したのです。私は辺野古に基地はいりません。普天間基地も今すぐに閉鎖するべきだと考えています。」会場から拍手。 「生まれたときから基地がある僕にとって今まで沖縄に基地があることに何の興味もありませんでした。むしろかっこいいと考えていました。僕の親父は軍で働いています。県外の人に"軍で働いている人間がいるからいつまでたっても基地がなくならない"と言われたことがあります。親父がやっていることに誇りを感じていた僕はそう言われてとても腹が立ちました。ただ、沖国大にヘリが墜落したときから僕の意識は変わりました。基地は基本的にいらないと思っています。そのことを口を大にしていえない状況と自分がいますが出来るところから頑張っていきたいと思っています。」また大きな拍手。 私から辺野古の現地報告をしました。 「まず最初に私から謝罪をしなければなりません。大正区に行って話をすることに関して、私は大和の人間としてまだ基地を沖縄からなくせていないことに対して謝罪しなければなりません。私が辺野古で命を燃やして闘う意味は沖縄に対する罪の償いでもあります。」それから辺野古現地での激しい攻防戦。おばぁやおじぃとの出会いなどのことを40分にわたって話しました。 1時間で終わるはずの私の話でしたが、質疑応答でも「辺野古の現在に至るまでの簡単な経緯を教えて欲しい」「嘉手納や普天間の状況を知りたい」「晋さんがなぜ辺野古に行ったのか詳しく教えて欲しい」などの質疑が相次ぎ、途中私の補足のために上池牧師が話したりで結局2時間半にわたっての報告会になりました。 その後も集会では「元従軍慰安婦、日本政府への告発全国集会報告」が行われましたが、私は大阪行動の方に参加するため途中で抜けさせていただきました。 ・大阪行動報告会。 JR大阪駅前まで伝道所に来てくれていた大阪行動のメンバーに送っていただきました。 午後5時をまわっていたため大阪行動は最後の集会を開いていました。拍手で迎えられました。 今日の大阪行動の感想が話し合われていました。「反応が良かった。」「沖縄について語りかけると受け答えが多くのなっているのを感じます。」「20代の若い女性が自分からビラを受け取りに来てくれました。」とても元気の出る言葉が飛び交いました。 すぐに報告会の場所に移動。報告会には30名ほどが集まってくれていました。 亜季ちゃんが始めた大阪行動はドンドン人が増えています。 今日も3人新しく来ていました。 ザックバランな形で報告会が始まり、この間の状況や私なりの辺野古への思いを話しました。 前に大阪から辺野古へ来ていた人の顔ぶれもあり懐かしく感じました。 「これから名古屋でも東京でも辺野古の行動が若い人たちの手で起こされようとしています。大阪行動がそういう人たちと繋がりあってこの基地建設計画を根本を潰す行動につなげて欲しいと考えています。僕は現場で頑張ります。長い闘いですが、これからもよろしくお願いします。そして現地でも大阪でも頑張っている亜季ちゃんをよろしくお願いします。」拍手で報告会を終えることが出来ました。 その後は交流会。日付が変わるまで大阪行動の人たちと語り合っていました。 27日、帰る日には大正区の沖縄関西文庫の方にもよらしていただきました。金城馨さんがいました。突然の訪問にも関わらず色々と話していただきました。 馨さん、ありがとうございました。 大阪でも多くの出会いがありました。そして辺野古の闘いが燃え広がるように広がっている状況を目の当たりにしました。 上池さんや平和の会などのお世話になった方々に今回のような機会を持っていただきとても感謝しています。ありがとうございました。現地で頑張る力がカゼン湧いてきました。 |
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