ジュゴンの家・日誌
「ジュゴンの家」の賛助会員、募集中
「ジュゴンの家」は沖縄・名護にあるリサイクルショップです!!お店を開けつつ、「基地建設をとめたい!!」という思いで、日々行動しています。
「ジュゴンの家」では「ジュゴンの家」を支えてくださる賛助会員を募集しています。
「力になろう!」という皆さま!!
ぜひ、賛助会員になってください!!よろしくお願いします!
会員申し込みは・・・FAXまたはメールでお知らせください。
  電話&FAX 0980−54−2948 
   e−mail   dugonghouse_in_okinawa@yahoo.co.jp
会費・・・月1000円、年10.000円となります
同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで

よろしくお願いいたします
           「じゅごんの家」メールアドレス変更しました!!
                  クリッククリック→

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6月B
参加者募集!!!
阻止船に乗る人、海上のやぐらおよびテントで座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!
夜間の座り込みも始まり、普通の衣服では濡れて風に当たっているとかなり寒いです。
海上行動用のダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!!
寝袋の募集は終了いたしました。ご協力ありがとうございました!!
しかし、寝袋にはいる人がいません!まだ24時間の警戒体制は続いています。
ぜひ、やぐらに来てください!! 

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611  西 陽子 

国会前座り込みホームページヘ!!

辺野古より緊急連絡!!!

海面に油広がる 水陸両用車沈没 (琉球新報6/10夕刊)

 【名護】名護市辺野古沖で9日に沈没した米海兵隊の水陸両用車から油が漏れ出して周囲の海面に広がっていることが10日午前、分かった。米軍は市に「油漏れ対策として、9日に化学剤による中和作業をし、10日にも行う」と説明している。
 目撃した人によると、米軍は10日午前8時ごろから現場にゴムボート2隻を出し、数人の潜水士が潜って部品状のものを引き揚げるなどの作業をしていた。通常の中和作業で見られるオイルフェンスを張って薬剤を散布する様子はなかった。辺りには油のにおいが立ち込め、午前9時ごろ、米兵が現場を離れた後にも海面には幅3、4メートル、長さ2、30メートルほどの油の帯が残っていたという。
 米軍がどのような手順で中和作業をするのかは分かっていない。午前の作業の後、米軍は10日午後零時半現在、現場に現れていない。 

那覇防衛施設局はこの油漏れに対して、現在何の対策も行っていません!!
一刻も早い油の回収、オイルフェンスの設置を防衛施設局へ訴える抗議の電話・FAXをよろしくお願いします!!
那覇防衛施設局  電話098−868−0174
             FAX098−863−1750

 ボーリング用のやぐらが珊瑚を破壊・・・!!
3月17日(木)にきた台船を留めるために、荒波の中無理やり降ろしたアンカーが、
再びサンゴを破壊していた。
海底に潜った夏芽さんたちが撮影した写真が見られます!!

ここをクリック!!





「名護街宣大作戦!」のお知らせ

 名護市民は辺野古に注目しています。でも、なかなか現場に来ることができない、きっかけがつかめないという人達のために、辺野古の現場でおこっていること、今、名護市の全体の力が必要だということ伝えに名護市街へ出て行きませんか?


                        

☆飛び入り大歓迎!!

     一緒にビラまきをしたい人を募集しています。

 私たちは毎週土曜日、海上行動隊、海人のマイクアピールや
 ビラまき、写真の展示などを行います。皆さんもぜひご一緒に
 参加してください!!


☆作戦決行日:毎週土曜(雨天中止)
      14:00 じゅごんの家集合!!(名護市城2−13−2)
      15:00 為又・
「洋服の青山」前で街宣開始!
      16:30 名護十字路近く・「オキマート」前で街宣開始!
      18:00 「じゅごんの家」でミーティング



6月13日(月)
座り込み421日目
台風が過ぎた後のケーシ風によって、今日は外洋からの波風が強い! 海も、いつものような青く透き通る感じではなく、どんよりと緑色に濁っている。辺野古の海が濁るのはとっても珍しいことだそうです。 午前中は、雨が降ったり止んだり。施設局も出てこず、天気まではっきりしません。
←と、シュワブの浜に作業員らしき人影!しかし、海に出る様子は無く、浜に積みっぱなしになっていた鉄パイプを片付けて帰って行きました。


先日沈没した水陸両用車の上空をヘリコプターが旋回していました。→
今日は、県外のテレビ局や、沖縄県の野党県議団が激励に訪れました。 午後1時、シュワブの浜に作業員がでてきました!
海上行動隊としては、今月9日に沈没した米軍の水陸両用戦車の引き上げが実行されるまで、一切の作業を拒否。
何も手が打たれないまま4日も放置される戦車の油のせいで、今日も汚れは海に広がっています!那覇防衛施設局への全国的な抗議行動を引き続きよろしくお願いします!
第1ポイントに来た作業船団はヤグラに絡みついた漂着物を回収しただけで、離れていきました。 この後、サンコー、パシフィック併せて7隻の船団で、各ヤグラをまわり、排除勧告と写真撮影。
水陸両用戦車が沈没したポイント近くを通過する作業船。 みんな立ち上がって、そっちを見てる!自分達の仕事場ですもんね、海は大切にしましょうよ! 今日も作業はさせず、撤収!!
港に停泊するジュゴン1号、ゴンベー、フィリア。今日もおつかれさま! 帰港後、水陸両用戦車がどうなっているか確認に行くことになりました。 まだ海が満ちていたため、車体は見えませんでしたが、アンテナが立っているのが確認できました。あたりは相変わらず、油の匂いが鼻に付き、不快。

じゅごんの家日誌
シャッターの前にフィンとウエイト、その他にも衣類の寄付がありました。浦添からです、と手紙がありましたが、どなたですか?お礼が言いたいのでご連絡ください!!
ジュゴンの群れ〜(‐о‐)東京三鷹のベーカリー「風のすみか」のジュゴンパン。この売り上げを辺野古のカンパにしてくれるそうです!ふきのとう書房の目黒さん、いただきます!!



6月12日(日)
久志区のハーリー大会に参加しました!!
辺野古のお隣の久志区。
久志の方々のご好意で、辺野古座り込み組もハーリー大会に参加させてもらうことになりました!本当は一ヶ月くらい練習するそうなんですが、みんな櫂を持つのも今日が初めて。どうなることやら・・。
まずは櫂の使い方をキャプテンかっちゃんに教えてもらいます。
次はリズムに合わせて漕ぐ練習。とにかくタイミングを合わせることが大事!
これを船の先頭で叩いて漕ぐリズムをとります。 辺野古座り込みハーリーチーム
名づけて「ニライカナイ」、集合!
ちっちゃく前ならえ!
目指せ優勝!
「ファイトッ!!」
いよいよ出発! あれれ・・まっすぐ進まないで右に旋回してしまいました・・!! ようやくゴールに向けて直進!転覆しそうだけど・・。
そして見事完走!!
速くはなかったですが、涙や鼻水を流しながら必死にハーリーを漕いで、「ニライカナイ」のチームワークがいっそう強くなったはず!!

久志区の方、めったにできない経験をさせていただいてありがとうございました!超燃えて、楽しかったです!



6月11日(土)
   第6回 名護街宣大作戦決行!!
日差しも強くなってきたので、パラソルを買いました!!しかし早速故障・・。ビニール紐で必死に直す。 ジュゴン折り紙もはりました!超良くできててかわい〜!!
今日はしんやさんも参加してくれました。しんやさんも歌声が名護の街に響き渡ります! チラシ読んでくださいね! 海人の旗を持って、車にアピール!強い日差しの中、本当にご苦労様です!
初めて名護街宣に参加された方もアピール。「埼玉から来ました!」


午後4:30 オキマート前に移動!!
えびのからも歌ってくれました。→
「ターニングポイント辺野古バージョン」いい歌だぁ〜
交代でアピールが続く。 チラシを読むお母さん。
子どものためにも、平和な未来を作りましょうね!
「辺野古から来ました!」
がんばってくださいね〜と女性。

「海は守らなきゃいけないよね!」
ちょっと冷めた左の一人を除いて、チーズ!!
←新作辺野古バッジ買いました!


今日の参加者は合計12人!
テント村から沢山の人が参加してくれました。今日はしんやさんとえびのからが歌ってくれてとってもにぎやかな街宣になりました!

おうちに帰って、
今日の夕ご飯はお好み焼き! 車教習所から久しぶりに帰ってきたゆっくん! お好み焼きをひっくり返す。うまくいくかな〜??
えいっ!
ちょっと失敗・・。あまりの悲しみに嘆くゆっくん。ドーハの悲劇再び・・。


出来上がり!→
おもち、ゴーヤー、チーズ入りで豪華にいただきました!
ジュゴンの家日誌
今日はえびのからが、お店を開けてくれました。 新装開店 海老の家。 おとなりさんから、アメリカンブルーというかわいい青い花をわけてもらいました!ありがとうございます!
お店に姉御登場!姉御にも好評!HENOKO TOKYOのNEW!辺野古バッチ!絶賛発売中☆ →
←辺野古を想う小学生が、折り紙でジュゴンの群れを作ってくれました!持ってきてくれた絵本作家さん。ちゃんと辺野古テントに届けますね!ありがとうございます!!

 仕事の合間に、持ち歌ターニングポイントを練習するえび。まずはカッコウから!ロン毛とかだいじね →
晋くん日誌
水陸両用戦車から赤い箱を回収〜ひめゆりの証言を「退屈」と問題に出した青山学院大学
6月10日(金)
・台風の影響なのか、水陸両用戦車の沈没のためか作業はありませんでした。

台風の影響の高波もじょじょに収まりつつあり、作業があると判断し、今日は午前6時30分から海上へと出ていました。

〜海上の様子〜
今日の午前8時頃米軍の黒いゴムボートがキャンプシュワブの浜辺から出港、水陸両用戦車が置かれている場所へと向かいました。
阻止行動のためにヤグラで座り込みをしていたこちらのメンバーが何人かで監視に出ます。
黒いゴムボートには米兵が10名ほどが乗っており、現場に着くと2名が潜りました。
2名はゴムボートが上がってくると30p四方の「赤い箱」を引き揚げていました。軍隊に詳しい人の話では、「赤い」色で塗られているものは軍隊では基本的には「危険」なものを指すということでした。
新聞報道では、「爆発物に使う起爆剤が入っていたのではないか。」ということでした。
現段階では米軍は未だ水陸両用戦車の引き揚げ作業には入っていません。
そして沈んだ戦車からの油漏れが次第にひどくなっています。沈んでいる場所はあたり一面から油のにおいがひどく気分が悪くなります。
米軍は「油を中和する化学剤を使っている。」としていますが、現場は良くなるどころかドンドン悪化しています。

〜水陸両用戦車の説明(私が知っている範囲で。)〜
現在、キャンプシュワブで使われている水陸両用戦車は基本がベトナム戦争時に作られたそうです。基が30年も40年も前のものに改良を加え、カスタマイズして現在も使われているようです。
水陸両用戦車の名の通り「水」「陸」どちらも行ける戦車です。
ベトナム戦争の時には川をさかのぼり、ジャングルを焼き払うために使われていたということも聞きました。
戦車は「司令機」と「攻撃機」に分かれています。
「司令機」は主に電波系統をつかさどっているようで機体からはたくさんのワイヤーが飛び出ているのが見えます。
「攻撃機」は砲台が機体の上部に取り付けられています。向かって左にあるのが機関銃で、向かって右にあるのが「機関砲」です。「機関砲」は恐ろしい兵器で約10秒間の間に爆弾が何百発と発射され、あたり一面を焦土と化します。
実践の場合には戦車の外壁に装甲板を取り付けています。フィリィピンに演習に行く際は装甲板を取り付けているのをこの目で確認しています。

水陸両用戦車は水中を走る場合にキャタピラを高速回転させ、浮力をつけ、キャタピラの後ろに付けられている大型のスクリューによって進んでいます。この高速回転させているキャタピラによってジュゴンが食べる海草、そしてサンゴ礁が破壊されつづけています。
辺野古で水陸両用戦車が沈んだのは今回が初めてではなく、年に一度はあり、演習の度に故障車が出る始末でした。今までどれだけ辺野古の人間がアピールしたとしても闇に葬られてきたものが今回これだけ大きく取り上げられているのは辺野古の阻止行動の成果といわざるを得ません。
水陸両用戦車が沈没した場所を潜って写真を撮ったというのも始めてのことかもしれません。

しかし、宜野座の民間海域を犯し、そのことに何の原因究明もせずに行った演習で戦車を沈没させ、辺野古の海を破壊することが何よりも許せません。この舐めきった米軍のやり方に憤りを感じずにはいられません。

〜ひめゆりの証言を「退屈」と問題に出した青山学院大学〜
6月9日のタイムスの報道にこんな題名で書かれていました。"ひめゆりの証言「退屈」/東京の私立高入試問題"と。
英語の入試問題の中の「修学旅行で沖縄に来た生徒」の感想文を読んで、設問に答える形でした。中身は以下。

" 英文の中で、「生徒」は壕に入って暗闇を体験した後、ひめゆり平和祈念資料館で語り部の証言を聞く。「正直に言うと彼女の証言は退屈で、私は飽きてしまった。彼女が話せば話すほど、洞窟で受けた強い印象を忘れてしまった」と記した。

 さらに、「彼女は繰り返し、いろんな場所でこの証言をしてきて、話し方が上手になり過ぎていた」などと“論評”。設問では、「生徒」がなぜ語り部の話を気に入らなかったのかを問い、選択肢から正解として「彼女の話し方が好きではなかったから」を選ばせるようになっている。 "

ことことが何を意味しているのか本気で考えなければなりません。
辺野古はこの8年間沢山の人達が全国から来ました。そのほとんどが「平和学習」という形でした。
平和学習は確かに大事なことです。でも沖縄に住む人々が望んでいることでは決してなく、「なぜ沖縄が平和学習=闘いの教材とされなければならないのか」という風に私も沖縄の人々から言われ、そしてそう思います。
「平和を学び、政府の、権力というものの理不尽を知り、怒りを知る。そしてこの世界を変えることを学び、実践と共に歩んでいく。」と伊江島わびあいの里、謝花さんから教えられました。
実践がなく、ただ「学ぶ」だけならば意味がないと教わったのです。
辺野古と共に生き、闘って勝つのではなく、「知っている」ことを振りかざしていたらその人のことを辺野古の仲間達は「仲間」とは認められないということにならざるを得ません。

さらに今回の青山学院高等学部が行ったことはそのことを思って闘っている人達のことさえも踏み潰していることです。
それが作る会教科書が目指す所です。
そして作る会教科書の検定を通した国の目指す所です。
戦争をする国なろうとしていることがこれ一つをとっても明らかなことです。許せません。

ひめゆりのおばぁ達や韓国の元従軍慰安婦のハルモニ達に謝罪もしていない政府がこういったことを首相の靖国参拝を許すことで戦争に突き進んでいます。
私たちはそれを許してはいない。この国を変えるために辺野古で行動を続けていることを言います。声をあげつづけましょう。


オイルフェンスを今日も張らず、海は油で汚染!〜"ピースメーカー"の進水式。
6月11日(土)
・今日も作業はなし。

〜海上〜
今日も作業はありませんでした。海上行動隊は陸上で待機を行いました。
米軍、施設局は水陸両用戦車の沈没の際して「オイルフェンス(油の拡散を防ぐための帽子ネット)」を取り付けるといっていますが今日もその作業は一切ありませんでした。
海上に出て、油の拡散している状況を確認しに行きました。
新聞報道は「油が30m四方に拡散している」と書いていますが、今日の午前8時で油は「300m四方」にまで広がっていました。人間の目で見える範囲の話なので実際にはもっと広い海域広がっています。
海上には施設局の警戒船が一隻と米軍の警戒しているゴムボートが一隻いました。
午後には海上保安庁が現場の視察に行き、行政の関係者も視察に行ったと思われます。
一日何事もありませんでしたが、油のにおいが海上に充満しています。

〜"ピースメーカー"の進水式〜
午後3時、新しく届いた新品のゴムボート"ピースメーカー"の進水式を行いました。
辺野古の浜辺にはおばぁ達を含め20名ほどが集まり、小さいですが、安全を願ってのウガミも行いました。
おばぁが「晋、酒持て来い」というので事務所にあった泡盛と塩を持ち浜辺へ。
お盆にコップについだ泡盛と塩を置き、「ウートートー」。「ほれ、船長さん酒と塩を船に。」おばぁに言われ、夏芽さんがゴムボートに酒と塩をかけます。
もう一度酒をつぎなおし、塩を置き「ウートートー」。「船長になる人はこの酒を飲みなさい」とおばぁに言われ一口づつコップに口をつけました。
ウガミが終わり、進水式。
全員で船を押して、海上へ。エンジンをかけて出港。波が高かったためゴムボートは大きく揺れましたが、順調。これからドンドン海上で働いてもらいます!!

全国からカンパをしてくださった皆様ありがとうございます。



6月10日(金)
朝6時半、出港!! 第一ポイントに着くと、やぐらがアジサシのフンだらけに・・!!やぐらに来るのは先週の日曜日ぶり。その間に単管やぐらはアジサシの休憩場と化していたのでした。
到着と同時に一斉にフン掃除に励む。
今日快適に過ごせるか否かはこれにかかっている!!でもちょっと臭い・・。
8時半ころ、米軍のゴムボートが昨日水陸両用車が沈没した場所に向かっていった。
ダイバーが降りて、何かをしている。
9時過ぎ、施設局の動きはない。今日は作業なしかも!!みんなで一斉に海に入って、レスキュー練習・泳ぎ練習をする。

←レスキュー練習。立ち泳ぎで15分停止の後、手を上げて2分停止。かなりきつそう・・!!
こっちはクロール練習をしています。短い時間で息継ぎができるようになりました! ミニたこ発見!腕に吸い付いて離れない〜! 今日もキレイな海。水族館みたいに鮮やかな魚もいっぱいいました!
2時すぎても作業はないようなので、陸に戻ってテント待機になりました。かき氷の差し入れをおいしくいただきました!! いちごとメロンどっちがいい?? う〜ん、おいしぃ!!
沖縄で一年中かき氷食べてる気がする・・。
貝のゲーム「ひとりぼっち」に熱中するかっちゃん。このゲームけっこうはまります。 昨日沈没した水陸両用車を水中撮影したビデオをテントで見ました。キャタピラーによって破壊されたサンゴ、戦車がなまなましく海底に沈んでいる様子がはっきりと映し出されていました。
海に潜っている夏芽さん 水陸両用車の大砲


6月9日(木)
座り込み417日目
米軍の水陸両用車キャンプシュワブ沖で沈没!!
作業をする様子がなく港で待機していると、水陸両用車の演習が始まった。浜にかけつけそれぞれ「Go home!」「Stop training!」と叫ぶ。戦争というものの教育を受け自らも戦地を訪れている彼には、この米兵たちが、罪無き人の、子ども達の命を奪うことが容易に想像できるのだろう。先日演習中にルートをあやまり民間地で事故を起こしたばかりだ。「民間地を壊してなにやってるんだ!帰れ!」と、怒鳴る顔は怒りに満ちていた。
午後、米軍のゴムボートが2艇航路近くでなにかしている。偵察に船を出した。2名がブイを降ろしに海に入る。サンゴを傷つけたのか?ブイの位置に水面からアンテナが突き出ていた・・・。「水陸両用車が水没したんだ!!」

水没の様子を撮影するためダイバー2名が潜った。波が強く危険な状態の中なんとか撮影に成功。このあと18名ほどの米兵が海上に現れダイバー4名が潜った。車体から30センチくらいの赤い箱のみ引き上げ帰っていった。赤い箱の中は不明だ。

←海底のサンゴ

←平和学習に訪れた方々へ。戦争が好きな人間は子どもにも戦争が好きになるように教えます。ブッシュ大統領は父親と同じように戦争をしています。平和活動をしていても子どもに教育を怠っては本当に平和な世の中は訪れません。「まだ早いから」などと言わず、幼いころからしっかり教育をして下さい。

7年前の名護市民投票について聞く→
久志のハーリーに参加します!さおりの櫂さばきに「優勝間違いなし!」と、かっちゃん。ほんと・・・? 青空散髪!! 海上では機敏に、テントでは静かに、この海を守っています。

晋くん日誌
水陸両用戦車が辺野古沖で転覆!!〜フィリィピンの話。

6月9日(木)
・台風の影響と米軍演習のために作業はありませんでした。

台風の影響で気象情報では「波浪注意報」が発令されていました。
「波浪注意報」のわりにはずいぶんと波が穏やか(といっても3m〜4m)だったので海上行動隊は漁港で待機していました。

〜水陸両用戦車の演習〜
そうしていると、午前9時30分頃浜辺から「ゴゴー!!」という大きなエンジン音がしました。
「水陸両用戦車」が演習を始めました。海上行動隊全員が「浜辺に行こう」と声を掛け合う。
夏芽さんはすぐに車を浜辺に向かわせる。
浜辺で英語と日本語が入り混じった抗議と車のクラクションを鳴らしての猛抗議が始まる。
昨日、米軍の水陸両用戦車による演習で宜野座のモズクが被害を受けたばかりです。「進路を間違えた」という理由で訓練中に宜野座の民間地域に侵入して民間地域を傷つけたのです。絶対に許せません。
辺野古で私たちが口にしているモズクが傷つけられたのです。絶対に許せない。
にも関わらず今日も米軍は水陸両用戦車を走らせています。これが沖縄の現実。
沖国大に落ちた米軍ヘリH−53Dが現在何事もなかったように辺野古の空を飛んでいるのと同じことです。
ことちらのことに何も応えようとしない米兵達。逆に笑って手を振っている。
「もう、いいかげんにしろ!!」声に力が入ります。
それでも演習は続けられている。

〜水陸両用戦車が沈没!!〜
さらにこの日、米軍の水陸両用戦車は故障し、辺野古のリーフ内に沈没しました。米軍のゴムボートが2隻探索に出て、その状況にこちらが気づいたのが午後1時30分頃。
海上保安庁が来ていて警戒態勢をとっていた私たちはその異変に気づき阻止船を出して偵察にいきました。
マナヌ岩(テント村から約1.5キロ沖合い、リーフの上。)の手前にあるリーフのくぼみ(水深5m)に戦車のアンテナが海面から突き出て見える。そこに沈んでいる模様。
そこに米軍のゴムボートから2名が飛び込み、印のためにブイを浮かべる作業をしている。
こちらのメンバーもタンクの用意をして2名が飛び込み、状況を確認しに出ました。確かに水陸両用戦車が水深5mの所に沈んでいる。
海底の岩場にはさまっている形で沈んでいるようで、波で戦車が揺すられる度に周りの岩場が削られているとのこと。走るだけでもリーフのさんご礁を破壊しているにも関わらず、さらに海底のさんご礁を破壊しているのです。
こちらのダイバーが2名その状況を写真に収めて帰ってきました。
テント村にはたくさんの報道陣が駆けつけ、夕方には各局のテレビがこのことを報じていました。

〜フィリィピンの話〜
フィリィピンのミンダナオ島で行われていることは多くの人達が知りません。
ミンダナオ島は1970年代にマルコス政権によって独立運動を武力鎮圧され、多くの人々が虐殺されています。86年にフィリィピンで革命がおき、マルコス政権はなくなり、アキノ政権が発足、このときに「自治基本法」が制定され、これをめぐって混乱が起こりました。
「自治基本法」の中では「ミンダナオ島の土地の権利」について"アメリカを含む外国の資本に対し、3千〜ha。フィリィピン政府は2千〜ha。キリスト教徒が24ha。イスラム教徒が4ha接収してよい(〜は記憶が不確かなので)"と決められています。
ミンダナオ島は8割がイスラム教徒です。今まで田畑をしていたところをいきなり軍隊に接収され、奪われる現実が生まれています。
実際に村を焼き払われ、米軍に訓練されたフィリィピン軍によってフェンスを張られ、奪われています。実の理由は「油田」が出るからだと言われています。

アロヨ政権になってからもそういう差別的な状況に対する抵抗が続き、それを抑えられなくなったアロヨ政権は沖縄の米軍を駐留させようとしています。
キャンプシュワブの米兵達はフィリィピンでの大演習の名の下でミンダナオ島に駐留し、そこで抵抗する人々を暗殺しつづけています。
辺野古に来たフィリィピンの牧師さんはこの間だけで55名ものキリスト教者が暗殺されたと話していました。しかし、この迫害された状況に対して抵抗し、暗殺された人々に対するフィリィピン、ミンダナオ島の人々の支持はさらに拡大し、抵抗は強くなっていっています。

そういう意味でもこの水陸両用戦車の演習は絶対に許せるものではありません。
訓練を止め、基地を撤去する状況を全国から作り出していきましょう!!


琉球朝日放送
2005年 06月09日(木曜日 夕)News Photo

今度は沈没 米軍水陸両用車、辺野古沖に

今度は沈没です。アメリカ軍の水陸両用車が名護市辺野古のキャンプ・シュワブ水域で行われていた訓練の途中、何らかのトラブルで沈没しました。水陸両用車はキャンプ・シュワブの水域内の、通称「マナヌ岩」と呼ばれる水深3〜4メートルのリーフに、車のアンテナ部分が海から突き出た状態で沈んでいます。

アメリカ軍はきょう午前海上での演習訓練を行いその間に沈没したものと見られ、原因は明らかになっていません。この沈没した地点はジュゴンの貴重な侵入路となっているため、環境保護団体は沈没の事態に強く反発しています。

アメリカ軍ではあす以降、引き上げる予定ですが、海上は波が高いためメドはたっておらず、油の流失による環境への影響も懸念されています。


ストリーミングビデオ-ブロードバンド256Kbps
ストリーミングビデオ-モデム-ISDN40Kbps

沖縄タイムス 2005年6月9日(木) 夕刊 5面
ひめゆりの証言「退屈」/東京の私立高入試問題
元学徒・研究者が批判
 東京の私立進学校、青山学院高等部が今年二月に実施した入学試験の英語科目で、元ひめゆり学徒の沖縄戦に関する証言が「退屈で、飽きてしまった」との英文を出題していたことが九日までに、分かった。生徒の感想文の体裁になっているが、教員が試験のために書き下ろした。元ひめゆり学徒らは「つらい体験を明かしている語り部をむち打つもの」と憤った。同校は「大変申し訳ない」と謝罪している。

 英文は三種類の入試のうち一般入試で出題され、千五十七人が受験した。「修学旅行で沖縄に来た生徒」の感想文を読んで、設問に答える形になっている。

 英文の中で、「生徒」は壕に入って暗闇を体験した後、ひめゆり平和祈念資料館で語り部の証言を聞く。「正直に言うと彼女の証言は退屈で、私は飽きてしまった。彼女が話せば話すほど、洞窟で受けた強い印象を忘れてしまった」と記した。

 さらに、「彼女は繰り返し、いろんな場所でこの証言をしてきて、話し方が上手になり過ぎていた」などと“論評”。設問では、「生徒」がなぜ語り部の話を気に入らなかったのかを問い、選択肢から正解として「彼女の話し方が好きではなかったから」を選ばせるようになっている。

 入試問題に目を通したひめゆり平和祈念資料館の本村つる館長は「八十歳近くになっても、話したくないつらい体験を話しているのは、むごい戦争を二度と起こさないよう若い世代に伝えるためだ。それをむち打つような文章は許せない」と、沈んだ様子で話した。「感想は百人百様でも、試験に出題して正解を決めるようなことはすべきでない」と強調した。

 石原昌家沖国大教授は「この入試問題は、極限状況の戦争を生き抜き、身を粉にして語る体験者を思いやれないような、教師の資格を失った者が教壇に立っている事実を証明している」と批判。「このような教師に指導される生徒の中には、似たような感想が再生産される」と危惧した。

学校側は謝罪

 青山学院高等部は本紙の取材に対し、「戦争体験を語り継ぐ努力を訴えようと出題したもので、ひめゆり学徒を非難する意図はなかった。配慮を欠く言葉で不愉快な思いをさせてしまい、大変申し訳ない」と述べた。

 この入試問題について、那覇市議の島尻安伊子氏(民主クラブ)が九日の同市議会個人質問で取り上げる。






 沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と600日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。

 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。

 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。

 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。

 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。

 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。

 彼らは全員20歳代だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。
家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。
彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて
闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。
世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。
 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。
 どうしても、今止めなければならないから。
 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。
 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。

 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。
先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。
東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて
いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。
 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況
の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。
 ものすごく個人的な話ではある。
でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。
自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。
大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。
足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。
周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。

 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 
 私たちは、辺野古で闘う若者たちの友人・知人・家族として、彼らの生活を支えるためのカンパを訴えます。
彼らが心置きなく行動するためには、1人・1ヶ月の生活資金・5万円ぐらいかかります。5万円×5〜6人を毎月作りたいと思っています。

 東京の「街」では、できるだけ多く地域の人たちが参加してくれるために「100円カンパ」を始めました。
 家族会も結成されました。
 太田武二(命どぅ宝ネットワーク)、ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中馬由紀子(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、
1/15 現在
郵便局 10020−84023361
赤羽 則子

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