ジュゴンの家・日誌
「ジュゴンの家」の賛助会員、募集中
「ジュゴンの家」は沖縄・名護にあるリサイクルショップです!!お店を開けつつ、「基地建設をとめたい!!」という思いで、日々行動しています。
「ジュゴンの家」では「ジュゴンの家」を支えてくださる賛助会員を募集しています。
「力になろう!」という皆さま!!
ぜひ、賛助会員になってください!!よろしくお願いします!
会員申し込みは・・・FAXまたはメールでお知らせください。
  電話&FAX 0980−54−2948 
   e−mail   dugonghouse_in_okinawa@yahoo.co.jp
会費・・・月1000円、年10.000円となります
同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで

よろしくお願いいたします

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6月C
参加者募集!!!
阻止船に乗る人、海上のやぐらおよびテントで座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!
夜間の座り込みも始まり、普通の衣服では濡れて風に当たっているとかなり寒いです。
海上行動用のダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!!
寝袋の募集は終了いたしました。ご協力ありがとうございました!!
しかし、寝袋にはいる人がいません!まだ24時間の警戒体制は続いています。
ぜひ、やぐらに来てください!! 

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611  西 陽子 

国会前座り込みホームページヘ!!

辺野古より緊急連絡!!!

海面に油広がる 水陸両用車沈没 (琉球新報6/10夕刊)

 【名護】名護市辺野古沖で9日に沈没した米海兵隊の水陸両用車から油が漏れ出して周囲の海面に広がっていることが10日午前、分かった。米軍は市に「油漏れ対策として、9日に化学剤による中和作業をし、10日にも行う」と説明している。
 目撃した人によると、米軍は10日午前8時ごろから現場にゴムボート2隻を出し、数人の潜水士が潜って部品状のものを引き揚げるなどの作業をしていた。通常の中和作業で見られるオイルフェンスを張って薬剤を散布する様子はなかった。辺りには油のにおいが立ち込め、午前9時ごろ、米兵が現場を離れた後にも海面には幅3、4メートル、長さ2、30メートルほどの油の帯が残っていたという。
 米軍がどのような手順で中和作業をするのかは分かっていない。午前の作業の後、米軍は10日午後零時半現在、現場に現れていない。 

那覇防衛施設局はこの油漏れに対して、現在何の対策も行っていません!!
一刻も早い油の回収、オイルフェンスの設置を防衛施設局へ訴える抗議の電話・FAXをよろしくお願いします!!
那覇防衛施設局  電話098−868−0174
             FAX098−863−1750

 ボーリング用のやぐらが珊瑚を破壊・・・!!
3月17日(木)にきた台船を留めるために、荒波の中無理やり降ろしたアンカーが、
再びサンゴを破壊していた。
海底に潜った夏芽さんたちが撮影した写真が見られます!!

ここをクリック!!





「名護街宣大作戦!」のお知らせ

 名護市民は辺野古に注目しています。でも、なかなか現場に来ることができない、きっかけがつかめないという人達のために、辺野古の現場でおこっていること、今、名護市の全体の力が必要だということ伝えに名護市街へ出て行きませんか?


                        

☆飛び入り大歓迎!!

     一緒にビラまきをしたい人を募集しています。

 私たちは毎週土曜日、海上行動隊、海人のマイクアピールや
 ビラまき、写真の展示などを行います。皆さんもぜひご一緒に
 参加してください!!


☆作戦決行日:毎週土曜(雨天中止)
      14:00 じゅごんの家集合!!(名護市城2−13−2)
      15:00 為又・
「洋服の青山」前で街宣開始!
      16:30 名護十字路近く・「オキマート」前で街宣開始!
      18:00 「じゅごんの家」でミーティング



6月17日(金)
あやちゃんが東京に帰ります。いろいろありがとう!!また来てね!! 今日も、テント待機!!
嘉陽のおじぃと屈伸するましゅぽ。
事務所わきで黙々と作業をするのは・・
与那覇さんでした!いつも、みんなが過ごしやすいようにいろいろなことに気を配ってくれています。 降り続く雨のせいで、駐車場から浜へ続く道に川ができていました! 様変わりしてしまった浜
2メートル近い地割れ!!!
辺野古グランドキャニオン出現。
こんな時はいつも土に埋まっている貝がたくさん地上に現れてきます。レアな貝をたくさんゲット! 辺野古の畑で育った完全無農薬のゴーヤー、安全・おいしい!思わず生齧りするサオリ。。

晋くん日誌
6月17日(金)
・強風のため作業はありませんでした。

〜あやさん帰る〜
ジュゴンの家で一緒寝食を共にし、一緒に辺野古海上での闘いをしていたあやさんが一時的に帰りました。
今日はテント村でささやかに「かえってこん会!」をやりました。テント村の提案であやさんにおばぁの横に座ってもらい「贈る言葉」を歌いました。
ここに来る人達一人一人全員が世界の宝物です。多くの人達が辺野古から旅立ち全国で闘いを広げています。
あやさんもジュゴンの家にとっても辺野古にとっても大切な一人です。
あやさんは「私は旅がしたくて東京を飛び出しました。その最初の一歩がオキナワだと思っていたのですが、辺野古のことを知り、加わろうと思いました。今日はおばぁの横に座れたことにとても感動しています。またすぐに来るので、また会いましょう!」と話していました。ありがとうあやさん、またねー。

弾は飛んでいませんが、「政府との戦争」とも言える辺野古の闘いは若い世代の人達の心に大きな衝撃を与え続けています。
そういう中で辺野古から旅立った若い世代の人達が現在も継続して大阪、京都、東京で辺野古の訴えが続けています。
大阪、京都は毎週土曜日に街宣、ビラ巻き、署名活動をし、東京では防衛庁前で毎週月曜日に訴えが続き、国会前での座り込みも毎日続けられ、NO BASE HENOKO TOKYOは物販に力を入れています。
どの行動も辺野古へと次々に人を送ってくれています。「訴えられる場」があるということのなかで人が増えていっています。全国で次々にこういった行動が起きることを願っています。
皆楽しく、元気に行動を続けていることが辺野古まで伝わってきています。

〜大雨〜
国頭の海人かっちゃんによるとこんな大雨は「何十年ぶりかな」というほどすごいそうです。
今日も台風並みの風が吹き荒れ、波は高いです。沖縄に停滞している低気圧は台風の一歩手前の「986hPa」となっています。つまり小台風が帯状に広がり、それがずるずると沖縄を通り過ぎている形です。
小台風がたくさんいること事態が異常です。沖縄では地球が異常事態に置かれていることが良く分かります。人間同士が殺しあっている場合じゃない状況が来ています。

〜おばぁの話〜
この間は忙しく、おばぁ達とテント村で話す機会がなく、久しぶりに大雨で海上が休みになりおばぁと話していました。
「晋、風邪ひいてないか?」とおばぁ。
「大丈夫よ。」晋。
「ちゃんと風邪ひかないようにしとかんといかんよ。わったーたーは何も出来ないけれどここに座っているからねぇ。」おばぁ。
「おばぁ、おばぁ達がいるから僕達は海上で安心して闘ってる。何も出来ないなんて違うよ。」と言うと、おばぁが横に首を振る。
「陸上案なんて一体何を考えているのかねぇ」おばぁ。
「陸上だろうがなんだろうが絶対に止めるよ。」晋。
「そこまではさせない。絶対にもう終わらせるからね。」とおばぁ。
「はい!頑張ります。」晋。
本当は毎日リハビリに通わなければいけないおばぁ達が「テントに行くのがリハビリ」と言って毎日来ています。おばぁ達に会う度に絶対に負けられないと思います。
体をはって絶対に基地建設を止めたい。何もない平和な辺野古を取り戻したい。
負けられない。


6月16日(木)

座り込み424日目
今日も強風波浪高波雷なんちゃら注意報。作業船出港する気配なく、テント待機。 カレーピラフのおにぎり。プロの味。
テントにはゴミの収集車がきません。地元の個人の方が持ち帰り処分しています。 宜野湾から伊波洋一支援会のみなさん。
ともにがんばりましょう!
お腹がすいたさおり姫。佑治さんからお恵みのお菓子。
←「辺野古の海から」ジュゴンの家バージョン新発売!!えびの歌も入ってます!!

貝殻で作ったブローチやジュゴン型の石。辺野古に来た記念にお買い上げください。売り上げは座り込みのカンパになります。→
パイプうにです。
すてきなアクセサリーに変身しそう。

埼玉から来た夫婦。観光旅行のつもりでしたが辺野古に寄ってみました。税金の無駄使い、海を壊して基地建設なんて許せないです。→
えびの歌を合わせる。が、合わない。おかしくてたまらない二人。歌い声より笑い声ばかり聞こえてくる。それ見ていた女性、「いいねぇ。闘いの場なのに女の子の笑い声が響いてるなんて(^−^)」本番は大成功!! 踊るだけじゃないんです。ギターも弾けちゃったりして?
「UNITE」Tシャツ!!

テントで明るく気丈に座り続けるおばあたちに励まされました。笑顔がいつも素敵なのは。体を張って守っているものがあるからですか?もう限界を超えているはずなのに、疲れを見せないその姿に、若者達脱帽です。

ジュゴンの家日誌
夜は名護のおそばやさんへ。アレンジを加えた沖縄料理は絶品。もちろんおそばも。マスターの焼き物がならぶ店内で勝手に三線ライブの始まり。えびちゃんの歌に感激したマスターも一曲ご披露。
マシュポの店番 暇つぶしお仕事。
お客さんに好評の辺野古バッチ!あれ、左下に見慣れないバッチが・・ じゅごんの家スタッフバッチ発見!!    (非売品です。)
 黒猫を抱きしめるSAORI。
 裁縫するマシュポ。
  ん〜バッチもちっちゃい!!
 メガネを落とす晋くん。 ↑(下着姿で)酒瓶を抱えるアヤ姉
  と、 シャウトするゆっくん。↓
 朗らかに歌うえびのから。



6月15日(水)
座り込み423日目
←停滞前線が、沖縄上空にあるため、今日も相変わらずどしゃ降りです。

 昨日の雨のせいで、テント内も水浸し。みんなで片づけます。→
浜には木や草など、漂流物が山盛り! 浜清掃。テント待機だと、普段気づかないようなことが目に付きます。  たまの大雨も悪くないかも・・。
←すっかりきれいになりました!


 海上保安庁の船が、水陸両用戦車の沈没した地点を見に来ています。
 早く回収してください!!
巨大イカを差し入れていただきました!まずはイカ刺し! こっちは、丸焼きですか!? 今日は港でお経をあげておられます。ご苦労様です。
今日は港内の海水も一面茶色く染まっています。 沖縄の6月に毛布って!
 「暑いっ!!」
気持ちよく寝られる人もいるようです・・。
←晋くんのお母さんからの差し入れ、UNITE Tシャツを着たおばぁたち全員集合 ハイ、チ〜ズ!


 「人のと間違われないように、しるしをしたわけさぁ 」→
今夜はジュゴンの日コンサートです!!
←外は嵐の前触れ?のような雨。でもやるんです!只今セッティング中。


 裏ではリハーサル中 →
しんやさんの歌でスタート!! 手話も交えてみんなで歌います。 ジャンベで飛び入り参加。
←じゅごんの家も、「辺野古の海から」を熱唱!!


  ここらでディナータイム!BGMは、瀬嵩の姉御の三線!→
豪華な料理の数々。しかも美味しくて言うことなし!!差し入れありがとうございます! 歌に酔い、食に酔い・・。
← 間違い探し。
 (いや、間違いだらけ。)


 歌が始まると、この方はいつも以上に上機嫌になっちゃうんです!→
辺野古黄金トリオによる安里屋ユンタ 師匠登場!みんなの心が騒ぎだします・・ ヒサ坊さん&マシュポが踊り、
三線に合わせてエイサー 舞! みんなでカチャーシィ!! 「十九の春」をデュエット。
えびのからとマシュポ ターニングポイントなど、2曲を披露。 3日前からの練習にしては、上デキっしょ?
← 聴き入るお客さん。


 NEW!CD辺野古の海から もバンバン売れました!私の歌も聴いてくださいね!
じゅごんの家などで絶賛発売中!→
琉球新報 6/16 9:31

「漁に出られない」 県漁連県漁協が施設局などに抗議 水陸車両沈没

 9日に名護市辺野古漁港沖で米海兵隊の水陸両用車が沈没し油が流出した事故で、漁民サイドから車両引き揚げの長期化と油汚染の拡大への懸念の声が噴き出している。県漁連の西銘仁正会長、県漁協組合長会の棚原哲也会長らは15日、那覇防衛施設局と外務省沖縄事務所に抗議し、早急な油漏れ対策や車両の回収、漁業被害への補償を要請した。
 施設局側は、悪天候のため、11、14、15の3日間、米軍の流出油の除去などの作業が実施できなかったことを説明した。
 名護漁協の神山正樹組合長は「現場は水深約3メートルと浅く、引き揚げ用のサルベージ船が近づくと、新たな岩礁の破壊が起きかねない。油が広がり、漁民は刺し網漁、モズク漁にも出られない」と述べ、水陸両用車の引き揚げが長期化することへの危機感を伝えた。メンバーから「米軍は、残る燃料油の量などを示していない」など不満の声が相次いだ。
 西銘会長は「民間地への上陸の原因解明もされないまま沈没事故が起きた。
漁業者は不安を感じている。現場には油のにおいが残っている」と述べた。
 施設局の中素明施設調整官は「事故は誠に遺憾。米軍は運用を停止しており、早期の原因究明、車両の回収を求めている」などと答えた。

 
沖縄タイムス 2005年6月15日(水) 夕刊 5面
米軍様、思いやりどこ/ヘリ墜落被害女性嘆願書
続く恐怖訴え/同席拒まれ市長に託す
 「あの事故からまだ一年も経過していないのに、住民への思いやりはないのですか」―。昨年八月の沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故で、自宅に無数のコンクリート片が飛び込んだ中村桂さん(32)の「嘆願書」が十五日午前、伊波洋一宜野湾市長の手で北中城村の海兵隊外交政策部(G5)に届けられた。

 激化する演習に対し、「この先いつまで恐怖と不安を抱えながら生活しなければならないのでしょうか」と、ブラックマン四軍調整官に問い掛ける文面に、対応したG5のハーマン・クラーディ部長は「本人がいかに苦しんでいるかが分かった。海兵隊が市民の思いを十分に理解するためにも、声を届けてもらうのは重要だ」と話したという。

 中村さんの自宅は、墜落事故現場の真向かいにある。事故当日、寝ていた生後六カ月の長男を抱えて逃げたために、窓から飛び込んできたコンクリートやガラス片の直撃を免れた。

 「逃げ遅れたら生命の危険にさらされていたかと思うと、体が震え怒りを覚えました」 事故直後、在沖米海兵隊は多くのヘリをイラクに派兵。宜野湾市上空はつかの間の静寂を取り戻したかにみえた。

 しかし、ヘリ部隊がイラクから帰還した四月以降、演習は激化。危険からの解放を求め、意を決して参加した五月の「普天間基地包囲行動」以降も、騒音の激しいハリアー戦闘機が数年ぶりに飛来したほか、ヘリの夜間飛行も増えるなど、状況は悪化の一途をたどる。

 「そのたびに『また墜落しないか、どうやって逃げようか』と考えると、子どもたちのそばから離れられず、体は硬直し夜も不安で眠れません」

 当初、市は市長の要請行動に中村さんの同席を計画。だが、「個人とは会わない」という米軍の方針でかなわなかった。

 「一日も早く安全な沖縄の空を、穏やかな生活を返してください。私たちは争いのない平和な世界を願います」

 伊波市長は、中村さんが地域で集めた騒音軽減を求める署名四百二十四人分もG5に提出。「狭い沖縄は、海兵隊の訓練に適していない。住宅地上空での旋回飛行訓練をただちに中止するべきだ」と訴えた。

QAB琉球朝日放送

2005年 06月15日(水曜日 夕)

News Photo

シリーズ戦後60年 遠ざかる記憶 一人芝居で戦世を伝える

「戦後60年遠ざかる記憶」です。終戦直後、戦争で打ちひしがれた人々の心を慰め、生きる希望を与えたのは唄や三線、そしてウチナー芝居でした。戦後間もなく役者として舞台に立ち、「一人芝居」で「戦さ世」をテーマにして演じてきた女優、北島角子さんの思いをお伝えします。

ウチナー芝居役者、北島角子さん。広い舞台には北島さんの声だけが響きます。たった一人で演じる「一人芝居」は北島さんのライフワークです。その北島さんの「一人芝居」の中には沖縄戦をテーマにした作品がいくつかもあります。

先月、北島さんの公演が開かれました。場所は佐喜真美術館。この場所では恒例となっています。平和を願う美術館には、沖縄戦の悲惨さを訴える丸木位里・俊画伯の「沖縄戦の図」があり、この絵が掛けられている空間がこの日の舞台となりました。

北島さんは「にっぽんじん?」という作品を演じました。年老いた女性が本土からきた孫の友人を迎えるところから舞台は始まります。

ウチナーヤマトグチを随所に取り入れ、北島さん扮する「おばあちゃん」は時にはユーモラスに昔話を語り、客席を沸かせます。

ウチナーグチの使用を厳しく禁止され、標準語の励行を強制された人々。戦時中、日本人になりたくても日本人になりきれなかったウチナーンチュの悲哀を北島さんが演じます。

「一人芝居」で沖縄戦を伝える北島さん自身は沖縄戦を直接経験していません。

北島さんは九死に一生を得、再びパラオへ戻りました。北島さんが再び沖縄の土を踏んだのは終戦の翌年でした。

その後、父親と同じウチナー芝居の役者となった北島さんは「一人芝居」と出会います。沖縄戦の証言を聞いて衝撃を受けた北島さんには、戦の体験を「一人芝居」の題材にすることを決めたある出来事がありました。

おばあちゃんの思い出話はいつしか沖縄戦で経験した話へと移ります。観客一人一人に語りかけるような北島さんの演技に客席も引き込まれていきます。

「おばちゃん」はやり場のない思いをぶつけます。そして、戦争の話を嫌がる孫におばあちゃんはこう語ります。まだまだいい足りない。それぞれの戦の話がある。私は芝居で話ができない人の分まで語っていきたい。

北島さんは「その人の生きた証として歴史として語り継ぐこと」の大切さを強く感じている。その思いが芸歴50年を超えた今、舞台に立つ原動力となっている。

戦争を知る世代が少なくなっている今、一人芝居の舞台を通して戦争について考えるきっかけになって欲しいと考えている。学校の平和学習など小さな舞台を地道に重ね、その一人から次の一人へとつながることを願っている。


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2005年 06月15日(水曜日 夕)

News Photo

今伝えたい言葉 平敷りつ子さん(89)

「死ぬことも名誉だっていう教えをしたのは事実ですからね・・・」

県立第一高等女学校を卒業して戦前、戦後と教壇に立った平敷さん。皇民化教育の過ちを質し、あの戦争を二度と繰り返してはならないと現在も平和教育の資料作りや本の編さん、執筆活動を続けます。

今でも思い続けているのはその間違った教育を受けて戦場に行って命を捨てた子供達に対して今さら詫びても取り返しつきませんよね。その子達の冥福を祈る、そして本当に杖を持ってヨタヨタだけれども平和に関することにはもう、自分でできるだけのことはやりたいと、やらないといけないと、思いますね。

自分達が生きている間に平和が訪れてくれたらなと世の中から戦争というのがなくなればと本当に思いますね。


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6月14日(火)
座り込み422日目
海が荒れています。港で待機。 施設局が動いたらいつでも出れるようにと、船上待機する人も。 雨が降ってきたのでテント待機に変更。
雨が強くなってきました。台風みたいに風も強く、テントの中にも雨が吹き込みます。濡れないようにカッパ着てみました・・・(‐.‐;)
東京三鷹「風のすみか」のジュゴンパン。かわいくて食べずらいけど、いってみましょー。 お昼にきゅうりの差し入れ。桑江さんの野菜は新鮮で美味しいです!
←お疲れの村長さん、束の間のマッサージタイム。テントで横になってるの初めて見ました。いつもご苦労さまです。

仲良しなのかな〜?たぶん初対面なはずだけど・・・。→
Tシャツ売りの青年現る。 ジュゴンのTシャツはいらんかね〜。 ほしいほしいと大盛況。
えびちゃん海老のTシャツ発見!
もちろんお買い上げ!

「こっちでも売りなさいよ」と、青年、大奥に呼ばれる。お気に召すかと緊張しながらお店を広げると「あら、きれいな色ね」と大好評。おばあたちもお買い上げ!!

じゅごんの家日誌
今日はうちがごはん作るさー!と、南のねえね。今日のメニューはゴーヤ、チンジャオロース、ゆし豆腐、とうがんサラダ!えびちゃんに晋くん、わらわらとお料理開始。
とうがんはテントへの差し入れ。たいへん美味しく、楽しくいただきました。
こうやって食べます・・・→

晋くん日誌
作業船が出港!海上の様子
6月13日(月)
・防衛施設局に対する違法な強行調査を阻止しています。

〜海上〜
今日は波も治まってきていました。それでも2m以上はありましたが。
風は多少強かったものの作業船が出る可能性は十分にあったため、午前6時30分、海上行動隊はヤグラに登りました。
午前中、作業船は出ず、防衛施設局側は監視役を置いているだけでした。

午前8時、キャンプシュワブの浜辺には10数人の米兵が出てきていました。浜辺にいた米兵はしばらくするとすぐに戻っていきましたが、昼ごろに確認すると30人ほどの米兵が出てきていました。
米兵は何人かのグループに別れて行動。夏芽さんによると「地雷除去」の演習ではないか、ということでした。

〜午後から作業船が出港〜
団結弁当を食べて午後を迎えます。
午後に作業船が7隻出港。
ナイワイとピースメーカーは飛び込み隊を連れてパシィフィックとサンコーの船団をそれぞれ追いかけます。
パシィフィックが3隻、サンコーは4隻、それぞれダイバーを連れています。
第一、第二、第三、第五でそれぞれ交渉がありましたが、
「辺野古海底に沈没している水陸両用戦車のことに関して防衛施設局は何もしていないにも関わらず作業をするというのか。絶対に間違っている。それでも作業を強行しようとするなら今日の作業は全て阻止する。」と全ての作業を拒否しました。
防衛施設局は国として米軍に対して強く水陸両用戦車の引き上げを要求しなければならないにも関わらずそれを「何事もなかったように」無視しています。
絶対に許せないことです。
オイルフェンスも張らず、沈没している水陸両用戦車の引き上げ作業を今日になっても行わない。一体何を考えているのか。米軍側、日本政府は私たちにしっかりとした引き上げの日程などを提示するべきです。

〜午後の交渉〜
第五での交渉の際、そのことを防衛施設局側に告げ、作業員が交渉役をしていたため強く防衛施設局の人間と話がしたいと申し出ました。
作業員が防衛施設局職員にそのことを告げると防衛施設局職員は上司と携帯電話で連絡をとっているようでした。しかし、私たちとの話し合いには応じず、すぐに船を第二に走らせました。
その約20分後パシィフィックとサンコーで分かれていた船団が合流し、7隻で各ヤグラに向かいました。そして排除勧告が始まります。
第五ヤグラでも防衛施設局は「普天間飛行場の早期返還の支障になっている」などといった言葉で排除勧告を行ってきました。
「普天間飛行場移設の支障になっている」という言葉は海上行動隊の怒りを買います。

「宜野湾市民が普天飛行場も辺野古移設もいらないと言っていることにどう答えるんだ!」「防衛施設局はこの8年間名護市民に対して説明責任を果たしてきたのか!果たしていない!!」「名護市民投票の結果をどう考えているのか!!」「辺野古移設は県民の8割が反対しているんだぞ!!」「普天間飛行場の返還は約束されたこと。それを逆手にとり、移設を強行してきたのはどっちだ!!」「ここに基地が出来ればたくさんの人達が死ぬんだ!」「県の説明ではボーリング調査は”護岸工事”のためと言っている。基地建設自体だと今、防衛施設局の口からはっきりと聞いた!」「沖縄に基地を押し付け、イラクの人々を殺しているのはあんた達だ!」書ききれないほどの怒号が飛びます。
防衛施設局は答えられず黙るだけでした。
午後4時頃作業船は引き上げ、私たちも引き揚げました。

今日は強風のため、作業はありませんでした。〜政府の動向
6月14日(火)
・強風で波が4m。作業はありませんでした。

〜海上〜
強風で風速が17mに達しました。波は4mです。なので海上行動隊はいつでも動ける状況を作りながらテント村で待機しました。
久しぶりにゆっくりとおばぁ達とみんなとゆんたくをしていました。

テント村でいつも闘っている当山さんはテント村で指圧をしてもらっていました。当山さんがいなければ海上での闘いは成り立っていません。
陸上で多くの人達が海上での行動を支えているからこそこの9ヶ月間闘って来れたのです。
海上はお弁当、飲み物、燃料、トイレまであらゆることを陸上からの支援で成り立っています。
海上で無線を通して当山さんの声が聞こえるととても安心感があります。
最初、当山さんに辺野古で出会った時は「とっつきにくい人」という感じがしました。
今では三線が鳴れば踊りだす愉快なおじさんです。
私が言うのは変ですが、当山さんも若者達と一緒に闘い、共に成長してきた仲間なのだと感じています。心から尊敬している人です。
これからもお互いに支えあいながら闘って行きたいと思っています。
当山さん、いつもありがとうございます。

〜政府の動向〜
現在全国の各紙報道でも「嘉手納統合固まる」などの見出しが出ています。米政府は「悪魔で県内移設だ。」としています。日本政府は「県外も」などと言っています。
しかしシビアに考えなければなりません。
まず、「県内の県議会議員与野党問わず県外移設の方針へ。」という記事の中で与党は「政府がそれでも”県内移設”だ。というのであれば辺野古移設以外認めない。」と言っています。
日本政府の「県外移設」はまやかしに見えてなりません。そして米政府は「県内移設以外認めない」と言っています。そうなると必然的に「辺野古」となる可能性が高いのです。

現在海上での防衛施設局の不気味な動き、今までこういう時には必ず強行がありました。
海上で座り込みをする人々が減っています。ヤグラで強行される可能性は高くなってきているのです。
県内、全国に呼びかけます。もう一度声を掛け合って辺野古に人を集めてください。
各地の行動にもっと人を集めてください。絶対に止める構図を辺野古から全国に作っていかなければなりません。
口すっぱく言っていますが、辺野古に人を集めてください。
基地建設は絶対に止められます。一人一人の力が集まれば絶対に。


 沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と200日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。

 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。

 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。

 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。

 東京の国会前座り込みで知り合ったアユさんは、バッグパッカーを夢見てお金を貯め、その仕事をやめたばかりで辺野古へ行き、今のところ彼女の旅は辺野古でとどまっている。

 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。

 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。

 彼らは全員20歳代だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。
家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。
彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて
闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。
世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。
 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。
 どうしても、今止めなければならないから。
 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。
 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。

 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。
先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。
東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて
いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。
 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況
の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。
 ものすごく個人的な話ではある。
でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。
自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。
大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。
足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。
周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。

 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 
 私たちは、辺野古で闘う若者たちの友人・知人・家族として、彼らの生活を支えるためのカンパを訴えます。
彼らが心置きなく行動するためには、1人・1ヶ月の生活資金・5万円ぐらいかかります。5万円×5〜6人を毎月作りたいと思っています。

 東京の「街」では、できるだけ多く地域の人たちが参加してくれるために「100円カンパ」を始めました。
 家族会も結成されました。

 ご協力をよろしくお願いいたします。
 太田武二(命どぅ宝ネットワーク)、ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中馬由紀子(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、
1/15 現在
郵便局 10020−84023361
赤羽 則子

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