ジュゴンの家・日誌

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7月I
参加者募集!!!
阻止船に乗る人、海上のやぐらおよびテントで座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!
海上行動用のダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!!

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611  西 陽子 

国会前座り込みホームページヘ!!

辺野古より緊急連絡!!!

海面に油広がる 水陸両用車沈没 (琉球新報6/10夕刊)

 【名護】名護市辺野古沖で9日に沈没した米海兵隊の水陸両用車から油が漏れ出して周囲の海面に広がっていることが10日午前、分かった。米軍は市に「油漏れ対策として、9日に化学剤による中和作業をし、10日にも行う」と説明している。
 目撃した人によると、米軍は10日午前8時ごろから現場にゴムボート2隻を出し、数人の潜水士が潜って部品状のものを引き揚げるなどの作業をしていた。通常の中和作業で見られるオイルフェンスを張って薬剤を散布する様子はなかった。辺りには油のにおいが立ち込め、午前9時ごろ、米兵が現場を離れた後にも海面には幅3、4メートル、長さ2、30メートルほどの油の帯が残っていたという。
 米軍がどのような手順で中和作業をするのかは分かっていない。午前の作業の後、米軍は10日午後零時半現在、現場に現れていない。 

那覇防衛施設局はこの油漏れに対して、現在何の対策も行っていません!!
一刻も早い油の回収、オイルフェンスの設置を防衛施設局へ訴える抗議の電話・FAXをよろしくお願いします!!
那覇防衛施設局  電話098−868−0174
             FAX098−863−1750

 ボーリング用のやぐらが珊瑚を破壊・・・!!
3月17日(木)にきた台船を留めるために、荒波の中無理やり降ろしたアンカーが、
再びサンゴを破壊していた。
海底に潜った夏芽さんたちが撮影した写真が見られます!!

ここをクリック!!





「名護街宣大作戦!」のお知らせ

 名護市民は辺野古に注目しています。でも、なかなか現場に来ることができない、きっかけがつかめないという人達のために、辺野古の現場でおこっていること、今、名護市の全体の力が必要だということ伝えに名護市街へ出て行きませんか?


                        

☆飛び入り大歓迎!!

     一緒にビラまきをしたい人を募集しています。

 私たちは毎週土曜日、海上行動隊、海人のマイクアピールや
 ビラまき、写真の展示などを行います。皆さんもぜひご一緒に
 参加してください!!


☆作戦決行日:毎週土曜(雨天中止)
      14:
30 じゅごんの家集合!!(名護市城2−13−2)
      15:00 為又・
「洋服の青山」前で街宣開始!
      16:30 名護十字路近く・「オキマート」前で街宣開始!
      18:00 「じゅごんの家」でミーティング




7月31日(日)

マシュポファイル 7
おばぁやおじぃたちが9年間、辺野古で座り込むことで土台を築き、その上に人と人のつながりで今の辺野古の座り込みに協力する人達の関係性が形作られてきました。命を守る会の方たちを何人か紹介します。

よしおばぁは、沖縄戦のときに辺野古の浜を軍艦の砲撃から逃げた経験をもつ方です。夜、娘さんの手を引いて浜辺へ逃げてくると、照明弾が上がり、ピカッとあたりが明るくなったそうです。そしたら海一面、黒いアメリカの軍艦で埋め尽くされていて、それが見えた途端に一斉に艦砲射撃が始まり、まわりでドカンドカン爆発して、地面もグラグラ揺れる中を逃げ、よしおばぁのすぐ後ろにも弾が落ちて、倒されたときに「もうだめだ」と思ったそうです。でも少しすると、手の感覚があって足の感覚があって、目も開けられる。身体も動かせる。一緒に手を繋いでいた娘さんも無事で、すぐ後ろを見ると確かに弾は落ちていましたが、不発弾だったため、助かって逃げ切れたそうです。

戦争が終わっても苦しい生活が続いたそうですが、食べ物が無かったときでも、辺野古の海で貝や魚を取ってきて子どもを育てたそうです。

嘉陽のおじぃは、嘉陽節と呼ばれるほど話しの上手なおじぃで、先日おじぃの家で夕食をご馳走になったのですが、その時も嘉陽節がサクレツしました。

「辺野古の闘いは非暴力だけども、暴力とは力の暴力だけではなく、言葉の暴力というものもある。例えば君に、馬鹿と言うとすると、それは君だけじゃなく、君の両親や先祖まで馬鹿にしていることになる。だから絶対友人を馬鹿にしてはいけない。それが非暴力ということなんだ」と、奥さんの料理とおじぃの話に囲まれて僕達は満足して帰りました。

その翌日、いつも通りに朝6時半に港を出て第1ポイントで人をヤグラに降ろして休憩していると、携帯が鳴りました。嘉陽のおじぃからでした。

「昨日はどうもありがとう、ところで昨日は何の日か知っているかね?」「え?何の日すか?」って聞いたら「父の日だったんだよ!いやーどうもありがとー!」って耳が痛くなるぐらいの声で言うから「こちらこそどーもー!」って海の上でそんな電話をしていました。

おろくさんは、80代のとても賢くて腰の低いおばぁで、誰に対しても「ありがとうございます」って御礼を欠かさない方です。辺野古の戦いの記録ビデオのその6の最後には、おろくさんのインタビューが入っていますが、「みんな今日も海に出ているんだと思って、毎朝海の神様にこうして手を合わせていますよ」って、他のおばぁやおじぃもしてくれていることかもしれませんが、ビデオの中でそこだけはいつも泣けそうになります。

おばぁ達はいつも病院からテントへ直接来るんです。「私らにとってのこれはリハビリよ」って杖を突いて歩いてきますが、大変だと思います。「あんたらニセーターを二度と戦争に行かせんためさ」(ニセーターとは沖縄の言葉で自分より若い人の意)っておばぁ達は言います。

命を守る会代表の金城祐治さんは、事務所をこの8年間ずっと開け続けて、訪れる人一人ひとりに丁寧に説明をしてきたそうです。4月のオワリから1ヶ月続いた24時間作業の抗議をするために施設局に行ったんですが、全くこちらの言うことに耳も貸さずに、局員は作業を続けると繰り返していたそうです。そしたら佑治さんが怒って机をひっくり返して涙を流しながら「現場の人間を殺すつもりか!」って激しく怒ってくれたそうです。

つい先日は帰りに佑治さんの軽トラで移動してたときに、施設局に船を貸している海人とすれ違いました。「彼はわしのまたいとこで、気持ちでは反対やけど、生活してかなあかんからなぁ」ってぼそっとつぶやきました。

僕は、こんな小さな辺野古の集落で、仲たがいさせられているんだと思ってしかめっ面していたら、「だからなんやっちゅうねん!」て祐次さんが突然言い出すから、僕も嬉しくなって「そうですよね生活が苦しかったら、どーしよー って親戚に泣きついたらいい!」って言うと祐治さんも「そーゆーこと!」って2人してガッハ ガッハ 大笑いしました。

笑いながら、この人は今までのこと全て飲み込んできた強い人だっていうことを、また知らされた思いがしました。

本当に1週間くらい前の話なんですが、5月の24時間作業に続いて、12時間作業で海上行動隊の間で何度も方針を変更しなければならない時期があったのですが、そんな時 晋くんが佑治さんに相談に行って、一通り話しをすると祐治さんは「何のためにおじぃやおばぁがテントにいるのか考えろ。わしが中心にどかっと腰を落ち着けとるから心配するな。それぞれの原点を忘れるなよ。もうおまえ達に渡しとるんだから」ってそんなようなことを言われたそうです。

祐治さんはこの1年で とっても体を悪くしているそうです。心配ではあるんですが、辺野古にとっての大黒柱であり、やっぱりそれだけ大切な人なんです。

祐治さんのぼやきも紹介しておきます。「今みたいに若いもんが来んかったら、こんな運動わし一人で続けてられるか!」って。

これは僕達にとっての祐次さんであり、祐次さんにとっての僕達でもあります。それは広げていくなら、祐治さんや僕たちにとってのみなさんでもあります。

新聞紙面やマスコミの報道では、辺野古のマグマを押さえるため「辺野古見直し」とか報じられていますが、まだまだこれだけの方が関心を持ってくれているんなら、もっと大きな噴火を起こすために、まだまだマグマがうねって力を付けていくんだろうと感じます。どうかみなさんの位置からも、辺野古への監視を継続してよろしくお願いします。来られる方はぜひ来てください。

そのGへつづく

※HPへ掲載するに当たり、一部加筆・修正をしました。
この文章の転載などを希望される方へ、まずはじゅごんの家のメールアドレスまでお問い合わせください。よろしくお願いします!





7月30日(土)
座り込み468日目
じゅごんの家日誌
「かわいいものいっぱーい!」と大喜びの小学生3人組。
海を守る話、戦争の話、いろいろな話をしました。小学生の素直な反応、素朴な疑問がとっても新鮮でおもしろかったですー!!


ガイセン前に横断幕を作るしょうちゃん。
第12回 名護街宣大作戦決行!!
「ヘノコー!ファイッ!オー!」
気合いを入れて今日もがんばるぞー!!
しょうちゃんが作った新しい横断幕!オレンジの生地でとっても目立つー!!
今日も暑い中、一枚一枚心をこめてチラシを配ります。 じーっと聞いてくれる中学生。ありがとうー!!
警察が「この場所で大きな音を出すのはやめて欲しい」と言ってきました。


へのへのこの前掛けをつけてアピールするましゅぽ。→
じゅごんの家のお客さんが、寄付の本を持ってガイセンに来てくれました!お客さんの突然の登場にガイセンメンバー大喜び! オキマート前に場所を移してガイセン続行!(オキマートが2週間程前に閉店してしまったので、人はまばら・・。) 不思議な動きで人の視線を集めるTくん!!
中学生・高校生もビラを受け取って読んでくれます。
お疲れ様ー!!
今日の参加者は14人!
みんなの力を合わせて1,500枚のチラシを配りました!!

「ナゴガイセン☆ダイサクセン」これからもがんばるぞーーー!!
夜は、みんなで バーベキュー パーリー をしました!!
がんがん仕事をこなすかっちゃんの背中。 気まぐれネコ ファービー みんな早く食べたくてウズウズ・・!
←琢磨さんがサザエの差し入れを持って登場!!


 焼肉テーブルは既に若者たちが占拠。→
おじさんテーブルも負けちゃいませんよ!! 今夜の肉を調達してくれた安次富さんから、みんなに挨拶。
「日頃の疲れをとって、明日からもうひと踏ん張りしよう!」
カンパーイ!!!
山中防衛庁長官 更迭のニュースに、夏芽さんから一言。 先日200日を迎えた、那覇防衛施設局前座り込みの山口洋子さん登場! 琢磨さんから「じゅごんの里もずく3000個完売しました!今後の売り上げはジュゴン保護区設立の資金作りに当てますので、来年もよろしくお願いします!!」
とみしょーもご挨拶。
「辺野古に来ると、次の商品のイメージが湧いてきます。私は東京でがんばる!!」
かっちゃんから黄色のアカバナTを見せてもらいました!これもかわいい!今後の参考にさせてもらいます! 今日、東京から到着したばかりの
タクヤ。あんたはラッキーだよ!
最後に、佑治さんからの挨拶。
「辺野古の闘いに全国から若者が集まり、最初は『こいつは何を考えとるんだ?』と思うような彼らが、次第にたくましく成長していくのがとっても嬉しい。これからみなさんには大変な時代が待っていると思うけれども、それに負けないエネルギーを蓄えて欲しい!」
 瀬嵩の姉御が三線を抱えた。  ひさ坊さんが踊りだして、 マシュポがお相手します。もはや、辺野古のお決まりの光景。
姉御の新曲!ではなくて・・
えびのからの「ターニングポイント辺野古バージョン」をみんなで熱唱!
日頃の疲れが吹っ飛ぶ夜です。
 食後は姉御達のまっ たりとした時間。→
今日の料理を準備してくれたあべさん。全部終わってから、「私、明日誕生日なの!うふふふふっ!!」

急遽用意された誕生日プレゼント、限定13個のかっちゃんTシャツのロゴバッチに大喜びのあべ母さん。

本当にごちそうさまでした!!
マシュポファイル 6
僕は船を壊してしまったこともありました。薄暗くなり始めた頃、船でやぐらに泊まる人を運んでいる途中、海底の岩場に船をぶつけて壊してしまいました。ぶつかった後は、頭の中が真っ白になり、修理会社へ何度も何度もケータイをかけていました。その時、助けに来てくれた人に「事故が起こるときはいろんな要因があって起こるものなんだよ」と言われ、また一つ勉強になりました。

116,200円、後日聞いた修理費です。皆さんが大変な思いをして集め送っていただいたカンパをそんな使い方してしまって、金額以上に気持ちの詰まったお金だから、もう忘れられないです。謝る気持ちは今後の阻止行動でお返ししたいと思います。

事故を起こしたとき、励ましてくれたのは第2ポイントにいた平良悦美さんでした。無線で落ち込んでいる僕の声を聞いて「大丈夫よ〜!すぐ助けが来るから待っててね〜」と明るい調子で呼びかけ続けてくれました。それ以上ヘコまないように暖かい言葉を何度も何度も送ってくれました。

悦美さんのライフジャケットには、南京錠が1つ付いていて単管に鎖が巻きつけてあります。もしも強制排除されるときには、それを身体に巻いて錠前の鍵は海に捨てるんだそうです。

第2ポイントの人たちは、作業船が近づいてくると水面ぎりぎりのところに立ち、海が満ちてくれば腰まで水に浸かりながら、「作業はさせない」と言う決意を緩めること無く立ち続けます。

最近、作業船を追いかけて第2ポイントへ行くと、時には水中眼鏡をつけて飛び込む覚悟でいるんだけど、いつものようにリンとした態度で立てずに腰を下ろして、どこか疲れている悦美さんの姿があります。見てて本当に悲惨です。

彼女も曲げられない思いの元にやっています、夕方 阻止行動が終わると、ウエットスーツも脱がずに急いで家に帰って、夜間 仕事をして、また早朝から辺野古に来る生活を送っています。

本当は僕なんかより、報告会をして欲しい人が辺野古や全国各地の現場にいるんです。その人たちにも定期的に、こうして地元を離れて報告会をして欲しいんですけど、みんなそれぞれの場所で重要な役目がある人たちで、もちろん生活もあって動くことが出来ません。

おばぁおじぃが命を守る会を立ち上げて座り込みを始めてからの8年間+440日、海上行動だけでもすでに10ヶ月が経過する中で、みんな本当に命に関わるような危ない場面もありながら、しかし怪我はしても未だに死人は出ていません。おばぁおじぃに「生きて帰ってこその闘いだ」と教えられたからです。

そのFへつづく

HPへ掲載するに当たり、一部加筆・修正をしました。
この文章の転載などを希望される方へ、まずはじゅごんの家のメールアドレスまでお問い合わせください。よろしくお願いします!

朝日夕刊  2005年07月30日10時54分
防衛施設庁長官を更迭へ 普天間移設などで路線対立
 大野防衛庁長官は、山中昭栄防衛施設庁長官を退任させる方針を固めた。在日米軍再配置の日米協議をめぐり、防衛庁と防衛施設庁の間では、沖縄県の米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題や、国内での議論の進め方をめぐって路線の対立があり、山中氏の退任は事実上の更迭と見られている。

 後任には北原巌男官房長が任命される見通し。政府は小泉首相の了解を得たうえで、8月上旬に閣議決定する方針だ。山中氏の退任については、守屋武昌事務次官がすでに首相官邸の二橋正弘官房副長官に伝え、山中氏本人にも通告している。守屋次官は留任する。

 山中氏は、72年に自治省(現総務省)に入り、防衛庁官房長などを経て03年8月に防衛施設庁長官に就任した。

 米軍普天間飛行場の返還をめぐっては、同県名護市辺野古沖への移設が予定されているが、防衛庁内では辺野古沖は困難として、新たな移設先として嘉手納基地への統合案や、キャンプ・シュワブへの移設案が検討されている。これに対し、山中氏は嘉手納基地への統合などでは県民の理解が得られず、非現実的だとして、県外移設の見通しが立たない限り、辺野古沖への移設作業を続けるべきだと主張していた。

 さらに防衛庁が、米軍再編に関して、地元自治体との調整役である施設庁を外して外務省や米側との協議を進めたことにも山中氏が反発。こうした路線の対立が鮮明となっていた。

 日米両政府は9月にも米軍再編について中間報告をまとめる方針で、基地の地元自治体との本格的な調整作業が控えている。山中氏は旧自治省出身で、自治体の事情にも精通していただけに、今回の更迭が今後の作業に影響を及ぼす可能性がある。
QAB琉球朝日放送

2005年 07月30日 (土曜日 夕)

News Photo

伊波宜野湾市長 訪米報告「普天間は異常」

今月、アメリカを訪れた宜野湾市の伊波市長が沖縄国際大学で講演し、アメリカでは軍の活動が市民生活に影響が出ない事が基本だったと、改めて普天間基地の異常性を訴えました。

伊波市長はきょう、アメリカ軍ヘリ墜落事故を風化させないためにと企画された沖縄国際大学の公開講座に出席しました。この中で伊波市長は、アメリカでは基地と住宅地が近づかないよう規制され、軍は市民生活に危険や騒音などの影響を与えない事が基本だった。しかし沖縄では、住宅地の中に60年も基地が存在し続けていると語りました。

また、普天間基地の航空写真を見たアメリカ連邦議会の基地見直し委員会の委員も「この基地は即座に閉鎖すべきだ」と驚いていた事を報告し、普天間基地の閉鎖に粘り強く取り組んでいきましょうと市民への協力を求めました。


ストリーミングビデオ-ブロードバンド256Kbps
ストリーミングビデオ-モデム-ISDN40Kbps

沖縄タイムス 2005年7月30日(土) 夕刊 4面
沖縄音楽と文化学びたい/比の歌手サンチャゴさん
 フィリピンの民衆歌手ジェス・サンチャゴさん(55)が音楽の交流を通じて、県内の文化などを研究するため、来沖している。(新垣亮)

 十月まで滞在予定で、「東アジアの音楽状況や役割を学びたい」と意欲を燃やし、県内各地の伝統的な民謡などの情報提供を呼び掛けている。

 一九六〇年代半ばから八〇年代のマルコス政権下で自由を失われ、苦しんでいる民衆に向けた歌を歌い続けた。軍による戒厳令で表現の自由がない中、民衆の生活実態を歌い上げる姿は大きな反響を呼び、同国では絶大な人気を誇る歌手の一人に。最近はヨーロッパやアジアの国々で積極的にコンサートをしている。

 今回の来日は日本財団アジアフェローシップの研究助成を受け実現。「東アジアにおける音楽の融合」をテーマにした。

 サンチャゴさんは「歌には人間のさまざまな感情を共有できる力がある。生きていく上で歌うことは当然の行為」と主張する。

 県内の運動にも興味を持ち、名護市辺野古の座り込みや十九日に金武町で開かれた県民集会にも足を運んだ。「祭りのようなにぎやかなフィリピンの運動とは違い、おとなしさの中にも熱く強い思いを受けた」と振り返る。

 すっかり沖縄の文化の虜だというサンチャゴさんは、「沖縄の人々は明るくてフレンドリー。出会いや交流を楽しみにしている」と話した。

 八月三十日に辺野古で行われる集会でのコンサートや十月十日には那覇市で喜納昌吉さんのコンサートにも出演する。

 サンチャゴさんのコンサートの問い合わせや情報提供は、沖縄環境ネットワークで受け付けている。電話098(832)8484。




 沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と200日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。

 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。

 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。

 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。

 東京の国会前座り込みで知り合ったアユさんは、バッグパッカーを夢見てお金を貯め、その仕事をやめたばかりで辺野古へ行き、今のところ彼女の旅は辺野古でとどまっている。

 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。

 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。

 彼らは全員20歳代だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。
家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。
彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて
闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。
世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。
 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。
 どうしても、今止めなければならないから。
 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。
 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。

 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。
先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。
東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて
いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。
 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況
の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。
 ものすごく個人的な話ではある。
でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。
自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。
大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。
足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。
周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。

 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 
 私たちは、辺野古で闘う若者たちの友人・知人・家族として、彼らの生活を支えるためのカンパを訴えます。
彼らが心置きなく行動するためには、1人・1ヶ月の生活資金・5万円ぐらいかかります。5万円×5〜6人を毎月作りたいと思っています。

 東京の「街」では、できるだけ多く地域の人たちが参加してくれるために「100円カンパ」を始めました。
 家族会も結成されました。

 ご協力をよろしくお願いいたします。
 太田武二(命どぅ宝ネットワーク)、ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中馬由紀子(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、
1/15 現在
郵便局 10020−84023361
赤羽 則子

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