ジュゴンの家・日誌
「ジュゴンの家」の賛助会員、募集中
「ジュゴンの家」は沖縄・名護にあるリサイクルショップです!!お店を開けつつ、「基地建設をとめたい!!」という思いで、日々行動しています。
「ジュゴンの家」では「ジュゴンの家」を支えてくださる賛助会員を募集しています。
「力になろう!」という皆さま!!
ぜひ、賛助会員になってください!!よろしくお願いします!
会員申し込みは・・・FAXまたはメールでお知らせください。
  電話&FAX 0980−54−2948 
   e−mail   dugonghouse_in_okinawa@yahoo.co.jp
会費・・・月1000円、年10.000円となります
同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで

よろしくお願いいたします
           「じゅごんの家」メールアドレス
                  クリッククリック→

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9月F
参加者募集!!!
阻止船に乗る人、海上のやぐらおよびテントで座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!
海上行動用のダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!!

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611  西 陽子 

国会前座り込みホームページヘ!!

 ボーリング用のやぐらが珊瑚を破壊・・・!!
3月17日(木)にきた台船を留めるために、荒波の中無理やり降ろしたアンカーが、
再びサンゴを破壊していた。
海底に潜った夏芽さんたちが撮影した写真が見られます!!

ここをクリック!!



「名護街宣大作戦!」のお知らせ

 名護市民は辺野古に注目しています。でも、なかなか現場に来ることができない、きっかけがつかめないという人達のために、辺野古の現場でおこっていること、今、名護市の全体の力が必要だということ伝えに名護市街へ出て行きませんか?


                        

☆飛び入り大歓迎!!

     一緒にビラまきをしたい人を募集しています。

 私たちは毎週土曜日、海上行動隊、海人のマイクアピールや
 ビラまき、写真の展示などを行います。皆さんもぜひご一緒に
 参加してください!!


☆作戦決行日:毎週土曜(雨天中止)
      14:
30 じゅごんの家集合!!(名護市城2−13−2)
      15:00 為又・
「洋服の青山」前で街宣開始!
      17:00 「じゅごんの家」でミーティング


9月30日(金)
座り込み530日目
←ジャミラあわらる

若者達で未来の話に花を咲かせる→
えびのからが歌います。癒されました。 ジェントルもセッション
えびの歌声に魅了され
CDを買う修さん。
かっこいいなぁ・・・・。
基地誘致表明の撤回を求める要請をするために名護市役所に行きました。
傍聴にいくと市長本人ではなく助役
が対応をしていました。
岸本市長が縮小案を受け入れたという報道によって
アメリカがさも地元「名護市民」の支持を得て基地建設を行っているんだという
口実を与えてしまったことについて市長はどう思うのか?という質問に対して
助役は、「報道された内容を選択肢の一つとして容認しているのであって、
これは縮小案を容認している訳ではない」と発言。
それを受けて「選択肢の一つとして容認するということは縮小案の容認ではないのか?」という質問に対して
「報道された内容を選択肢の一つとして容認しているのであって、これは縮小案を容認している訳ではない」と繰り返す
この後も話で堂々巡りを繰り返しました。
テント村は台風対策。
ジュゴンの家日誌
ハワイ島をイメージして作ったロコモコ 昨日に続き大根のサラダ
←みんなでいただきまーす!!


埼玉大学の学生達のメッセージ

富田 晋君へ

今回は貴重なお話ありがとうございました。

晋君が浜辺で泣きながら語ってくれたこと、すごく印象に残っています。

私は辺野古に来て多くの方に親切にしていただきました。その優しさ、強さ、誠実さにあこがれつつ、正直とまどってしまいました。

本当は晋君と話したかったし、聞きたいこともたくさんありました。

でも、言葉も気持ちもまとまらず、自分の口から出る言葉がすべて偽りのようで、ただ考えていただけです。

私はすごく困難な出来事にぶちあたった時、自分の非力さを感じ、意思がしぼんでしまいます。でも、晋君の姿は私に1つの指標を示してくれました。

辺野古の問題は皆の問題です。私もこれから何らかの形で運動を起こせたら・・と考えています。ありがとうございました。


しんくんへ

私はイロンナ思いを持って辺野古へ来ました。

そして辺野古でイロンナ人に出会ってイロイロ思いました。考えました。悩みました。(ちょっと)ヘコみました。

まだまだ頭ん中がグチャグチャしてるけどシンくんと会い、話を聞いてなんかスーっとしました。

最後は堂々と座り込みが出来たし、埼玉に帰っても胸を張って座り込みしてきたヨって言えます。

ただ、お礼を言いたくて手紙を書きました。

たくさん私達に伝えてくれて、シュノーケル教えてくれて、じゃがりこくれてありがとう。

辺野古をよろしくお願いします。埼玉、本土はまかせてください。(たよりないけど)

でも潰れそうになったら(そうじゃなくても)、また辺野古に帰ってきます。


富田 晋 さん

今回のお話は当たり前のことだけど日々の生活や環境によって忘れてしまう大事なことをたくさん思い起こすものでした。特に印象的だったのは辺野古の海では大きな船は小さな船がいたら道を開けなければいけないというお話です。これは強い者は弱い者をいたわるという人間にとって本当に基本で大事なことだと思います。

また、おばぁの話で「山は人間に生き方を示している」というお話が印象的でした。

「本来なら人間はその土地(場所)に根を張って後継者(子孫)を育てていくのが生き方であるのに今はそういうことが出来ない。でも、山はあきらめないということも教えてくれる。たとえ木が一本になっても一本あれば必ず次につながっていくのだと。」

辺野古という場所は私達に多くのことを体全体を通して教えてくれるのだと感じました。

環境が健康であったら、作物は作れるし、魚はとれるし、子孫も安心して育てられる・・・

しかし環境が健康でない場合、たちまち人間は生きていくことが出来なくなります。

だからこそ辺野古を基地で傷つけたくない。心からそう思いました。

晋君のお話を聞いて、海に出て、おじぃ、おばぁと時を共にして、また海風で多くの人に出会いゆんたくをして、こういう場所を基地によって壊したくないと思いました。

私も決してあきらめない一粒の種になり、根をはって生きていこうと強く思いました。



晋くんのお話を聞いて、自分が感じたこと、考えたことを伝えたいと思いました。なかなか言葉に出来なくて、それでも確かに受け取ったものがあったことだけはせめて伝えたいと思い手紙にしてみました。

私は絶対に戦争反対です。少し前までは強い思い入れがあって「戦争反対!!」と言っていたわけでなく、自然と「戦争はいかんだろ」という程度でした。しかし、今年の2月にアフガニスタンへ行って生まれた時からずっと戦争の中にいた人々や子どもたちに出逢い、戦争というもののおそろしさやおろかさ、人や街にどれだけの傷を残すのかを実感しました。

戦争なんてただの人殺しでしかない、絶対に起きてはならないことだと強く思いました。(言葉にするとちんぷですが・・)しかし、同時に自分たち日本はあのイラク戦に賛成の声をあげた国であることを心から悔しく悲しく思いました。

私はアフガン空爆を是としたんだ、アフガンで出逢った彼らの大切な人を殺したのかも知れない・・・自分の住む日本について考えさせられるきっかけとなりました。

そして「辺野古」に出逢い、実際に晋くんの話を辺野古の浜で聞いて、戦争に加担する自分・そして戦争するための基地すらも沖縄に押し付けていた自分に気付きました。

おじぃ、おばぁがこの海を守ろうと、子や孫に戦争を味あわせたくないという想いを知らずに踏みつけていた自分。私もたたわなきゃ!!この目の前の海を壊しちゃいけない!!おじぃ、おばぁの想いを守りたい!!

アフガンにいる友達を守りたい、辺野古のおじぃ、おばぁの想いを守りたい・・・・。

基地は絶対にいらない、本当にそう思いました。

そういう想いを一歩踏み出せば変わる何かがあることを晋くんに教えてもらったように思います。

今回はたったの3日間の座り込みで埼玉へ帰りますが、自分も「ひとつの種」となってがんばります!!

また来ます!!その時まで、さよなら。

 サオレ






9月29日(木)
テント村に来る人たちに分かりやすいように、辺野古の写真をスケッチブックに張って、辺野古アルバム製作中です! 埼玉大学のサオレ(本当はサオリだけど、サオリと名前が一緒なので、サオレになってもらった)が辺野古にやってきた!サオリとは目黒での辺野古講演会以来!うれし恥ずかし記念撮影。 テントに溢れる若者。
福岡で「くまのみの会」として辺野古ガイセンをがんばっています!久しぶりに再会しました。 くまちゃんが今日で東京に帰ります。
テント村のみんなにご挨拶。「辺野古が厳しくなっていくかもしれない今こそ、東京で辺野古の現状を伝えていきたいです」
久しぶりに辺野古に帰ってきたえびちゃん。「5月に来た時、第3ポイントに上って、激しい攻防を目の当たりにしました。すっごい悔しかったです。こんなやり方で基地建設をしようとする国は絶対許せないと思いました。」
一ヶ月ぶりに辺野古に戻ったましゅぽ。「休みの間に実家に帰ってきました。そして、自分がこういう活動に参加する原点になったビルマの友達に会いました。ビルマもイラクと同じようにアメリカ軍の攻撃にさらされようとしています。この現実を変えるためにこれからも沖縄で、辺野古で闘っていきたいです。」 福岡から「くまのみの会」の報告。「那覇の防衛施設局に申し入れに行きました。施設局員にあなたは基地のすぐ横に住みたいと思いますか?という質問をしたら、無言になっていました。」 埼玉大学の学生から、辺野古に初めて来た感想。「初めて辺野古に来て、ここは闘いの場なんだといことを感じました。自分が地元に戻って何が出来るかわからないけど、何か行動を起こして行きたいです。」
埼玉大の学生「初めて沖縄に来て基地の大きさにびっくりしました。」 ヒサ坊差し入れのエイのから揚げ。 いただきまーす!
お弁当に肉団子をほおばるくまちゃん。
今日の夕ご飯はサオリ特製マーボー豆腐。 えびちゃんが作った大根とツナサラダ。 差し入れでいただいた手作りキムチ。
今日は久しぶりに、ましゅぽと一緒に晩御飯!!
いただきまーす!
昨日のじゅごんの家
とみしょうやから荷物を送ってもらいました!かわいい夏服! ゆりぞうとましゅぽが伊江島に行く途中にお店に寄ってくれました。 マコレレ久しぶりに登場。
←2ヶ月ぶりにえびのからが沖縄にやってきた!!→

アクリルタワシと虹のかけら(アクセサリー)を作って売ってます!
語り合うマコレレとえびちゃん。


9月28日(水)
座り込み528日目
今日はたくさんの若者が集合!! 海に出て怪我をしないように全員でストレッチをやる
←練習のため、海に出ると作業船が
 出航した。一時警戒したが、外洋の
 海洋調査だった

午前中の練習を終えテント村に
戻ってお昼ごはんを食べる→
テントにもたくさんの若い人達が!
沖縄タイムス 2005年9月28日(水) 朝刊 1面
「普天間代替」は軍民共用/県議会代表質問
知事、公約変更の意思なし
 稲嶺恵一知事は二十七日の県議会九月定例会代表質問で、米軍再編協議で普天間飛行場の新たな移設案として検討されている「辺野古縮小案」などが「軍民共用空港」の公約見直しにつながることについて、「普天間代替の軍民共用は、(政府の)代替施設協議会でも決定されている」と前置きした上で、「政府から具体的な案が示されていない段階で、個別具体的な案に言及することはできない」と述べ、現時点で公約を変更する意思のない考えを強調した。

 また、伊佐嘉一郎文化環境部長は、アスベスト問題について「米軍基地内の使用実態が明らかにされていない」と述べ、米軍基地内での使用状況について実態調査を行い、調査結果を明らかにするよう、米軍に要請していく考えを示した。

 いずれも新里米吉氏(護憲ネット)の質問に答えた。

 国に対し空港設置許可申請が出された新石垣空港建設の今後の見通しについて、稲嶺知事は「本年度に調査測量や実施設計を行い、来年度から用地買収を始め、二〇〇七年度以降に土木工事、証明工事などを行う計画。一二年度末には供用開始の予定」と述べた。辻野ヒロ子氏(自民)への答弁。

 代表質問は二十八日も行われ、前島昭男氏(公明県民会議)、奥平一夫氏(社大・結連合)、新垣良俊氏(県民の会)の三氏が登壇する。

琉球新報   9月28日10時4分更新


辺野古沖に予定されている基地建設に反対する署名を濱元勉基地対策室長補佐(右)に渡す堀川弘美くまのみの会代表=27日、那覇市前島の那覇防衛施設局
 
 大分県湯布院町に住む20代から30代の女性4人が、米軍普天間飛行場の辺野古沖移設の白紙撤回を求める署名運動に取り組み、小泉首相などあてた2066人の署名を27日までに那覇防衛施設局に提出した。
 署名運動を展開しているのは「くまのみの会」。辺野古海岸に生息するクマノミを会の名に付け、平和への思いを込めた。代表の堀川弘美さん(26)が、辺野古沖移設反対運動に取り組む地元の人たちに刺激を受け、県道越え実弾砲撃演習の移転先の日出生台演習場を抱える湯布院町で結成した。

 5月から毎週1回、大分市の繁華街で1時間、「戦争につながる基地には反対だ」と訴える辺野古のお年寄りの声などを伝え、署名を集めてきた。
 26日、堀川代表ら3人が那覇防衛施設局に対し、「辺野古沖移設の規模を縮小する案が出ているが、白紙撤回を求める。現場の声に耳を傾けずに進められている再編協議に憤りを覚える」などとする要請書と署名を手渡し、移設計画の白紙撤回と米軍は米本国に帰るよう求めた。応対した濱元勉基地対策室長補佐は「局としては1999年の閣議決定に従って、一刻も早い返還を進めたい」と答えるにとどまった。
 県庁記者クラブで記者会見した堀川さんは「できることから始めようと、署名に取り組んだが、若い人たちなどからの反応がよくなってきた。白紙撤回されるまで頑張りたい」と話した。



 沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と200日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。

 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。

 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。

 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。

 東京の国会前座り込みで知り合ったアユさんは、バッグパッカーを夢見てお金を貯め、その仕事をやめたばかりで辺野古へ行き、今のところ彼女の旅は辺野古でとどまっている。

 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。

 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。

 彼らは全員20歳代だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。
家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。
彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて
闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。
世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。
 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。
 どうしても、今止めなければならないから。
 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。
 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。

 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。
先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。
東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて
いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。
 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況
の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。
 ものすごく個人的な話ではある。
でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。
自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。
大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。
足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。
周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。

 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 
 私たちは、辺野古で闘う若者たちの友人・知人・家族として、彼らの生活を支えるためのカンパを訴えます。
彼らが心置きなく行動するためには、1人・1ヶ月の生活資金・5万円ぐらいかかります。5万円×5〜6人を毎月作りたいと思っています。

 東京の「街」では、できるだけ多く地域の人たちが参加してくれるために「100円カンパ」を始めました。
 家族会も結成されました。

 ご協力をよろしくお願いいたします。
 太田武二(命どぅ宝ネットワーク)、ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中馬由紀子(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、
1/15 現在
郵便局 10020−84023361
赤羽 則子


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