ジュゴンの家・日誌

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3月G
参加者募集!!!
阻止船に乗る人、海上のやぐらおよびテントで座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!
冬を迎え海の上はだんだん寒くなってきています。普通の衣服では、濡れて風に当たっているとかなり寒いということです。
海上行動用のダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!!

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611  西 陽子 

国会前座り込みホームページヘ!!

辺野古より緊急連絡!!!
平和市民連絡会の平良夏芽です。
12月10日午前、辺野古沖のやぐらで反対派男性が作業員に突き落とされ、
パイプに後頭部を強打し気絶して救急車で搬送されました。
被害者は意識を取り戻し、
大事には至らなかったようですが24時間の経過観察という段階です。
しかし、那覇防衛施設局は すぐ近くで見ていて、
救助指示も出さず傍観していました。
被害者が気を失って 流れに流されていくのを傍観したのです。
しかも、本人が自分で落ちたと言い張っています。  
現場では、施設局に雇われた業者を「敵」としないように努力してきましたが限界です。
3人目のけが人が出て、しかも三人目が気を失って救急搬送されるに至っては、
全国に呼びかけて業者にも抗議をしていただく必要があると判断しました。
以下に業者の名前、住所、電話番号を記します。
想いのある方は、抗議の電話を入れてください。
サンコーコンサルタント  東京都江東区亀戸一丁目8−9号
                電話03-3683-7111
                FAX03-3683-6264
同沖縄事務所       浦添市牧港1-62-19
                電話098-875-6181

那覇防衛施設局は、抗議の電話を弁護士がしている途中、
15分ほどで一方的に電話を切りました。

 ボーリング用のやぐらが珊瑚を破壊・・・!!
3月17日(木)にきた台船を留めるために、荒波の中無理やり降ろしたアンカーが、
再びサンゴを破壊していた。
海底に潜った夏芽さんたちが撮影した写真が見られます!!

ここをクリック!!




3月29日(火)

座り込み345日目
おはようございます。本日第1ポイントは、フィリア、ゴムボート、カヌー、漁船の4隻体制です。
午前7時すぎ、シュワブの浜。まだまだ作業員は現れない。

いつもどおり9時ころ作業船が動き出した。パシフィックは櫓が傾いているので計測、補強作業を要求。こちらは午後から計測のみを許可した。
←本日のお昼ご飯!!


休日の夏芽さん。
休日なのにご苦労様です。辺野古に来てどこが休日なのかって、ま、靴を履いてないとこかな。いつもと違うのは。それにしても、人間裸足というだけリラックスした感じになりますね。足広げてペタンと座った姿がパンダみたいだったなんて、言ってませんよ、決して(о^о^о)→
午後、計測のため、ダイバー2名と施設局員が櫓に上がってきた。パイプの間隔を測り傾きを調べる。この櫓は南側に大きく傾いてた。下のパイプは南側は海中につかっているのに、反対側は海面から出ている。
補強をしたいとおっしゃいますが、これはもう撤去でしょー。
施設局員君、作業状況説明、ちょっと考え書き直す。
腐食の激しいパイプも撮影し、作業終了。
テント村、報告会の後1曲ご披露♪そしてさらに、倉庫でバンド練習する若者たちのところへ。音楽に合わせ、踊る、踊る。
風邪ひきじゅごんの家、夕飯は鳥鍋とサラダ。

琉球新報 (3/29 8:59)

在沖基地の県外移転示唆 町村外相

 【東京】在日米軍基地を抱える渉外知事会と外務・防衛両省庁との意見交換会が二十八日午後、外務省で開かれた。稲嶺恵一知事は沖縄の負担軽減をあらためて要望した。稲嶺知事によると、町村信孝外相は「沖縄の負担軽減、県外移転で他に影響が及ぶかもしれないが、安保の利点についても理解してほしい」と述べ、在沖基地の県外移転を示唆した。各県からは、遊休化した米軍施設の返還を米側に要求するよう求める意見が続出。大野功統防衛庁長官は米側との交渉で取り上げると明言した。
 会合は、基地を抱える地方の意見を聴取し、米軍再編協議に生かすのが狙い。政府側は町村外相と大野長官ら両省庁の幹部が出席。知事会側は稲嶺知事、神奈川の松沢成文(渉外知事会会長)、東京の石原慎太郎両知事ら十二都道県の代表が出席した。稲嶺知事によると、町村外相は在沖基地について「県外移転となると当然、他への影響も出てくる。日米安保で日本の平和が守られ、経済も繁栄したという考え方についても理解してほしい」と述べた。
 大野長官は、基地の日米共同使用に関連して「特に密集しているところは頭に入れないといけない」と、都市部の基地で共同使用を積極的に進める方針を明らかにした。
 松沢知事によると、遊休施設返還要求の声に対し、大野長官は「総ざらいして交渉の中で返還を求める。一つのテーマとして取り上げる必要がある」と明言。山口県の二井関成知事は「現在以上の機能強化は容認できない」として、米海軍厚木基地(神奈川県)で実施されている夜間離着陸訓練(NLP)を米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)へ移転する案に反対を表明した。



3月28日(月)
座り込み344日目
空は厚い雲に覆われています。 海は大荒れの様子。 突然のドシャ降り!海上は雨にさえぎられて、まったく見えず
←しばし、陸で待機。


 海上で待機してくれている海人に挨拶しに行った夏芽さんたち、途中でドシャ降りにあって、引き返してきました。「今日は嵐だよ!」→
海が落ち着くまで、ヤグラ組もテントで座り込みました。 いつもヤグラに座りながら帽子を編んでいるそうです。
「これで19個目よ!」
こちらでは2月に創刊した
『NO BASE(基地はいらない)』の篠原編集長が、最新号のための取材をしています。テントに来た際には、ぜひ読んでみてくださいね!
←新しい看板を制作中。
  スプレー缶で書くんですか?
  下書きはしないんですか?

     え?テトン村?
←午後に備えて、少し早めに陸で食事。

 と、そこにパシフィックコンサルタンツの責任者が訪ねてきた。緊張が走る。
HPの写真の説明文に不満があって、文句を言いに来たようだ →
午後、天候が回復したため出港!
のはずが、潮が引いて航行不能に。フィリア号をみんなで救助!
無事、完了。 第1ポイントへ急行!
作業船が来ました。 船を近づけて写真撮影をしています。 今日は、機材を固定するワイヤーの補修作業のみを許可しました。
←帰って来ると、事務所番の方が、おにぎりを準備してくれていました。
  ごちそうさまでした!
      いつもありがとう!
じゅごんの家日誌
←男の厨房。

 人が多いので食堂のような雰囲気で夕食 →
今夜のメニューは、
 大根と玉ねぎ、ピーマンのサラダ
  と、 肉じゃが!!
しん君日誌
「ニンガチカジマイ」が教えてくれること。
3月28日(月)
・防衛施設局による違法な強行調査を阻止しています。

今日は朝から天候が悪く、ニンガチカジマイ(春一番)の最後の風が吹いているようでした。
国頭の海人かっちゃんが「晋、カジマイが終わる知らせはどんなものか知っているか?」と聞いてきました。「いいえ」と答えるとかっちゃんが浜辺へ連れて行ってくれました。
「かに穴あるかなぁー?」とかっちゃん。「かに穴がどうかしたんですか?」
「カジマイが終わる頃は浜辺にかに穴が無数に出来る。かに穴は海の方向に向かってあいているんだよ。それからアンダーグースーといって油みたいな海草がたくさん浜辺に打ち上げられる。これがニンガチカジマイが終わる合図よ。」とかっちゃん。
私は海人が海と会話している姿を肌で感じました。
5月1日ちょうどに集まる魚の稚魚もいるそうです。この目でぜひみてみたい。
午前中風が鳴り止むことはなくビュービューと響き、風が回転していくのを雲を見て感じました。
南西の風がほぼま逆の北風になる。波も正反対に動こうとし、うねりをおこして海はすごく荒れます。3日前にもシーカヤックが流され男性が一人行方不明になっています。
突然の突風、波の変貌。
人間が考えていることを覆してしまう自然をニンガチカジマイが教えてくれています。

午後、作業船に動きがあったためこちらも海上での座り込みを開始しましたが、パシィフィックは写真撮影だけ。サンコーは安全灯の点検だけをして帰っていきました。
今日はスーパー固定ブイの動きはありませんでしたが、今週はいつ動くか分からない状況があります。辺野古に来られる方は集まってください。
琉球新報 3/28

負担軽減要求けん制か ライス長官発言の波紋

 ライス米国務長官が大野功統防衛庁長官との会談で、米軍の撤退が地元経済に影響を与えると発言したことに、稲嶺恵一知事は「経済は別に考えたい」と明言した。長官発言には沖縄側と政府内から批判がある。今後数カ月がヤマ場となる在日米軍の再編協議の詰めの段階で、米側が一方的に沖縄経済の現状を基地負担軽減の足かせとして持ち出しかねないと警戒し、経済問題と切り離して負担軽減を促す姿勢を鮮明にする動きが目立っている。(政経部・松元剛)
 県によると、基地関係収入は、軍用地料、軍雇用者所得、軍人・軍属の消費支出の総計。本土復帰した一九七二年には県民総所得の15・6%(七百八十億円)だった。二〇〇一年度には5・1%(千九百一億円)に割合は低下している。

■沖縄にくぎ刺す?

 ライス長官は十九日、沖縄の負担軽減に触れた大野長官に対し、わざわざ「ドイツから米軍が撤退した際には、地域経済に影響が及ぶという声があったことを紹介したい」と述べ、在沖米軍の削減は、沖縄経済にも影響が出るとの見方を示唆した。在沖米軍関係者の間でもよく聞かれる見解だ。
 長官発言は、沖縄経済の“弱さ”を突き、米側の想定以上の負担軽減を要求することをけん制した―との見方が大勢だ。
 「経済だけを表に出すと基地の解決は不可能になる。基地問題の解決の優先度を非常に高く考えており、しっかり要望したい。経済は別途にベターな方法を考えたい」
 二十五日の定例記者懇談会で、稲嶺知事はライス発言への感想を問われ、経済問題と絡めずに負担軽減を最優先に求める考えを明確にした。
 さらに「復帰時は(基地関連収入は)ウエートが高かったが、圧倒的に落ちている。基地収入も日本政府からのバックアップであって、アメリカ自体のウエートは低い」と言い切った。
 その口調には、日本の思いやり予算を享受し、基地関連支出に直接関与する割合が低い米側が「基地経済」に言及したことへの反発もにじんだ。
 稲嶺知事は、基地所在自治体や、軍用地主、基地従業員など、基地関連で収入を得る県民への配慮から、基地縮小要求と経済問題のバランスを取ることに腐心してきた。今回ほど、基地問題と経済を切り離す姿勢を明確にしたのは異例だ。
 県幹部は「『基地が減っても大丈夫か』と沖縄側を揺さぶる意図を感じるが、米側に言われる筋合いではない。知事の姿勢は県民世論に合致する」と解説する。

■国会でも批判

 二十五日の衆院安全保障委員会。仲村正治氏(自民)がライス発言を「ちぐはぐだ」と批判。大野防衛庁長官は「経済効果は本筋の話ではないと(ライス長官に)反論した。本来の意味の負担軽減を考えるべきだ」と応じた。
 経済とリンクさせない「本来の負担軽減」。その一点で県と政府の足並みはそろっている。どう実現するかは、政府の対米折衝の大きな課題だ。


3月27日(日)
座り込み343日目
日曜日の座り込み。 その後、大里教会に行きました。
牧師姿の夏芽さんと一緒に記念撮影。でも足はいつもの島ぞうり・・。
今日はイースター。
かわいいゆで卵をもらいました!
那覇在住の青年の案内で、具志頭村のアブチラガマへ。

狭い入り口を入っていくと
中は、全く日が射さない、ひんやりした洞窟。

60年前、ここが1000人近くの負傷兵で埋め尽くされていた。

このガマを撤退する時に、重病者は青酸カリ入りのミルクを飲まされて殺されたという。青酸カリを作った場所もそのまま保管されている。
大里教会のバーベキュー大会に参加させてもらいました!!海を臨む絶好のロケーション!お肉もとってもおいしかった〜!

←焼きマシュマロにはまる人々。

大満足の夏芽さん。→→
今日の夕ご飯は、煮魚!シェフが腕を振るう。 そばと煮魚出来上がり!いただきまーす!!
シン君日誌
24日、25日の海上行動。25日で阻止行動340日!!
3月25日(金)24日、25日の海上の様子をまとめます。更新が遅れていてすみません。
・防衛施設局による違法な強行調査を阻止しています。

24日(木)
午前7時海上には40人以上の人達が海上での座り込みを開始しました。

午前9時頃に「スーパー固定ブイを乗せた作業台船が中城湾より動いている。」との連絡が入りました。現場には緊張が走りました。
その10分後には「中城湾を出港した作業台船は20メートル先で停泊している模様。」また10分後には「岸壁に戻っている。」との連絡が入りました。
私たちはいつでも立ち向かう思いで海上にいます。どんなことがあっても絶対に止めます。
リーフ内での作業はまったく行なわれず全ての作業を阻止しています。ただ、パシィフィックコンサルタンツがスパット台船を配置につけるための捨てアンカー(使い捨てのアンカー)の引き上げを行なっていたためこちらも監視のためにナイワイ号とゴムボートが向かいました。
こちらもダイバーが海底に潜りアンカーの場所を見ると前回(11月13日)にスパット台船を海上に置いた時と同様に今回も捨てアンカーを落としたことにより海底のサンゴ礁を傷つけていることが分かりました。
「環境への配慮」のカケラもない作業に怒り心頭です。
リーフ内の4つのヤグラ全てで作業を阻止し、今日を終えました。

海上は冬を終え、春の陽気になってきています。まだニンガチカジマイが続いていますのでしばらくは風が強いようですが。
まだ北風が吹くと寒いです。海上で南風が吹くように祈ったりします。それから作業船がもう来ないことを祈ります。
しかし、決して心細く感じたりはしません。多くの人達が沖縄、全国で一緒に基地建設がなくなる日を願い、沖縄、全国で基地建設を止めるための動きがドンドンと作られていくのを感じているからです。

稲嶺県知事が「県外移設を政府に要請」なんて見出しが沖縄の新聞の見出しにちょくちょく出るようにもなっていますが、決してあなどってはならない状況が辺野古では続いています。政府も知事も「辺野古の闘いをここで押さえなければ大変なことになる」と恐怖しています。
全国的に戦争を強制するために作られた日の丸君が代の強制が音をたてて響いています。それに対して心ある人達が「戦場に教え子を送るな」とビラを配布すると逮捕されるという状況が生まれています。
辺野古で基地建設を止めるということは戦争に繋がる全てを止めるための一役なのだと感じています。
私は辺野古で基地建設を止めます。
時代に戦争という強い風が吹いています。
それを止めるための土台が辺野古から作られようとしています。
この国とは違うあり方をもう一度考え、実践するための場所として、私たちの生き方をもう一度考え、生き抜くための場所として辺野古が存在するようになっています。
政府が恐れることは国を倒す力が人々の中からもう一度起ころうとしていることに対する恐怖です。
人が一人あり方を変えていくたびに辺野古の基地建設を止める、日の丸、君が代をなくす力となっていきます。
辺野古の基地建設を止めましょう。絶対に止められます。今まで以上に力を貸してください。辺野古の闘いは基地建設がなくなり、戦争を止め、この国が変わるまで続きます。

25日(土)
昨日スーパー固定ブイが動くという緊張感の中で今日も海上での座り込みは続いていました。
サンコーコンサルタントが担当している第二、第五のヤグラでは、安全点検だけがこちらの了解の上で行なわれそれ以上の作業を阻止しています。
パシィフィックコンサルタンツが担当している第一、第三のヤグラでは、機材の写真撮影だけをこちらの了解の上で行ないそれ以上の作業を阻止しています。

今日は7月から約8ヵ月間辺野古で頑張ってくれていたまこちゃんが最後の海上行動となったため第二ヤグラに集まり全員でまこちゃんのお疲れセレモニーを行ないました。
海上行動が終わってからも壮行会が行なわれ、夜遅くまで語り合いました。
本当にお疲れさままこちゃん。でも闘いはこれからです。これからも一緒にがんばっていこう!!



3月26日(土)

座り込み342日目
全国から珊瑚の調査のためダイバーが集まりました。 テント村、お昼の時間。 初めて来た方に丁寧に説明。
初めての沖縄。弁当のボリュームにおどろく!! 休日でも海の監視は怠りません。 ライフジャケット抱えて座り込み。
テント前、潮が引いて散歩できます。 代行運転。運転手は子ども??? 「かっか食堂」のそば定食。ボリューム満点!
キャンプシュワブ前サイレントキャンドル。米兵にジュゴン保護を訴える。 今夜の満月コンサートの宣伝も忘れずに。 平日は海、土曜日は陸で頑張ってます。
少年たちのサイレントキャンドル。
満月コンサート、見事な月の下はじまる。
まよなかしんやさん、知花昌一さん、金城師匠、辺野古の若者達みんな気持ちよさそうでした。最後はカチャーシーで。
ジャンベの青年、月と踊る。

晋くん日誌  2005,3,24
21日〜24日までのまとめ。更新が遅れていてすみません!!

3月24日(木)日誌の更新が遅れていて申し訳ありません!!多忙のためご理解ください。
・防衛施設局による違法な強行調査を阻止しています。

21日(月)
スパット台船が突入したこともあり、月曜日の公休日の作業もありえると辺野古はいつも通り多くの人達が集まりました。
幸い作業はなく、みんなで平島(辺野古にある孤島)に遊びに行くことに。
あまりにバカンス的な雰囲気のためみんな口々に「ここ辺野古??」と話していました。
一日中平島をみんなで探検。午前中は島の周りを海から泳いでグルッと一周。洞窟があったり、白い砂浜がある反対側に出たり、音楽を聴きながら過ごしました。
午後は島を陸から探検。ジャングルの中を草をわけながら入り小さいころに探検していたのを思い出します。
少し驚いたのはいつも作業船でやってくるパシィフィックのダイバーも島に遊びにきていました。
お互い、基地建設などなければ楽しく色々なことを教えあいながら生活していけることを実感する出来事でした。
一日中遊んで久しぶりに遊びつかれて陸に戻りました。
「なんか、気持ちいい汗かいているよねー。」と言いながら。

22日(火)
防衛施設局はいつも通り作業船を海上に出します。
私達も各ヤグラに座り込み阻止行動を行いました。

・パシィフィック担当の第一、第三では。
作業船は写真撮影をヤグラの回りから行いましたが、その他の作業を私達が一切阻止しています。

・サンコーコンサルタント担当の第二、第五では。
安全灯の確認のために作業員が上がりましたが、午前、午後共に全ての作業を阻止しています。

スパット台船を止めたことにより今日は防衛施設局から要求もほとんどなく静かな一日でした。

23日(水)
海上では40名以上の人達が座り込みを行いました。

パシィフィック担当の第一、第三では。
第一では、ヤグラの周りからの写真撮影だけでした。
第三では、機材の雨よけのブルーシートの掛けなおしと機材の写真撮影をこちらが了解し、行っただけで作業の一切をとめています。

サンコーコンサルタント担当の第二、第五では。
第二、第五共に安全のための赤い旗をこちらの了解のもとでなおしただけで他の作業の一切をとめています。

この日、辺野古に約五ヶ月間一緒に頑張っていた男性が地元に帰るということで名護で送別会が行われました。
多くの人達が辺野古を訪れ、辺野古を去っていく。
その中で私も色々なことを学ばされています。
この間は全国から本当に私と同世代が多く来ました。寝食を共にして毎日海上に出、闘って日が暮れて、夜は色々なことを語り合います。
明日をどう生きるのか、何を作るのか私たちは辺野古で学んでいます。
大和から来た同世代の仲間達は辺野古に関わって顔つきを変えて帰っていく。私は生意気ながらそれを目の当たりにして一番喜んでいます。
人の成長はいつもこの世界の素晴らしさや可能性を教えてくれます。
今回帰った彼も辺野古に多くの希望を与えて帰っていきました。
送別会の時に彼は「僕は辺野古に来た当初どう関わっていいのか悩み煮つまっていました。でも祐治さんが言ってくれました。”現場で楽しくやりなさい。貧乏人には貧乏人なりの闘い方がある。”僕はそのことを本当に・・・ありがとうございました。」涙ながらに語っていました。
でも感極まっていたのは私の方です。
帰った彼は最初、水が恐くて海上に出ることをためらっていました。でもカヌーを出して、ヤグラが建ちはじめたころから泳ぐ練習をして、スパット台船に登り私たちと一緒に阻止してきました。
彼は紛れも無く辺野古で歴史を作った一人です。ただ、歴史がそれぞれを必要とする場所は違います。
彼はまた自分のこれから生きる場所でやるべきことがありかえっていきました。
辺野古は彼を祝福します。私も彼を祝福します。いつの日かこの世界が私たちの次の世代の人達にとって差別のない、戦争のない世界に変えるために共にこれからも生きていきたい。
これはこれから帰る人、残る人全ての人に対する私なりの思いです。


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