ジュゴンの家・日誌
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7月G
参加者募集!!!
阻止船に乗る人、海上のやぐらおよびテントで座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!
海上行動用のダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!!

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611  西 陽子 

国会前座り込みホームページヘ!!

辺野古より緊急連絡!!!

海面に油広がる 水陸両用車沈没 (琉球新報6/10夕刊)

 【名護】名護市辺野古沖で9日に沈没した米海兵隊の水陸両用車から油が漏れ出して周囲の海面に広がっていることが10日午前、分かった。米軍は市に「油漏れ対策として、9日に化学剤による中和作業をし、10日にも行う」と説明している。
 目撃した人によると、米軍は10日午前8時ごろから現場にゴムボート2隻を出し、数人の潜水士が潜って部品状のものを引き揚げるなどの作業をしていた。通常の中和作業で見られるオイルフェンスを張って薬剤を散布する様子はなかった。辺りには油のにおいが立ち込め、午前9時ごろ、米兵が現場を離れた後にも海面には幅3、4メートル、長さ2、30メートルほどの油の帯が残っていたという。
 米軍がどのような手順で中和作業をするのかは分かっていない。午前の作業の後、米軍は10日午後零時半現在、現場に現れていない。 

那覇防衛施設局はこの油漏れに対して、現在何の対策も行っていません!!
一刻も早い油の回収、オイルフェンスの設置を防衛施設局へ訴える抗議の電話・FAXをよろしくお願いします!!
那覇防衛施設局  電話098−868−0174
             FAX098−863−1750

 ボーリング用のやぐらが珊瑚を破壊・・・!!
3月17日(木)にきた台船を留めるために、荒波の中無理やり降ろしたアンカーが、
再びサンゴを破壊していた。
海底に潜った夏芽さんたちが撮影した写真が見られます!!

ここをクリック!!





「名護街宣大作戦!」のお知らせ

 名護市民は辺野古に注目しています。でも、なかなか現場に来ることができない、きっかけがつかめないという人達のために、辺野古の現場でおこっていること、今、名護市の全体の力が必要だということ伝えに名護市街へ出て行きませんか?


                        

☆飛び入り大歓迎!!

     一緒にビラまきをしたい人を募集しています。

 私たちは毎週土曜日、海上行動隊、海人のマイクアピールや
 ビラまき、写真の展示などを行います。皆さんもぜひご一緒に
 参加してください!!


☆作戦決行日:毎週土曜(雨天中止)
      14:
30 じゅごんの家集合!!(名護市城2−13−2)
      15:00 為又・
「洋服の青山」前で街宣開始!
      16:30 名護十字路近く・「オキマート」前で街宣開始!
      18:00 「じゅごんの家」でミーティング





7月26日(火)

じゅごんの家日誌
←ダイビングの講習しているお店で
出会った女性が遊びに来てくれました

パピコを差し入れしに来たマシュポ→
近所の小学生と遊ぶゆっくん 辺野古の若者が扇をやってくれました
座り込み464日目
今日は作業船もでず、平和な1日でした 途中からものすごいドシャ降りに・・・
リンゴジュースを送っていただきましたとても美味しくいただきました→
きょうの晩御飯は冷しゃぶとそば!!
 マシュポファイル 2

伊江島には戦後の沖縄の土地闘争を、非暴力の島ぐるみ闘争へと広げていった阿波根昌鴻おじぃたちがいて、今でも反戦地主として闘っている方たちがいる。キャンプハンセンでも下地島空港でも、米軍の横暴と日本政府の弱腰に怒った住民達が自ら行動を起こし、そして辺野古には8年と440日(05年7月2日現在)座り込みを続けるおじぃやおばぁがいます。昨年の8月にヘリ墜落以後、県民の8割が普天間基地の県内移設に反対する状況が生まれています。

しかし、基地を認めざるを得ない人たちがいることも確かです。生活していくために基地で働かなければならない、作らなければ生活していけない。

基地があることによりたくさんの補助金が下りてくるシステムと、基地があるかないかで沖縄の市町村自治体の年度予算にものすごい開きがある、でもそれに反して、沖縄が全国で就職率がワースト1で、自殺者数がNO,1。日本の首都圏におおい野宿労働者の人たちの出身は、沖縄や北海道がダントツに多いことも聞きました。

辺野古で一緒に阻止行動するウチナンチュー(沖縄の人)の女性には「あんたたちヤマトの人間が自分の土地で広めなかったら、いつまでも辺野古でやってもしょうがないの!」と怒られたときもあります。今まで知ろうともしなかったことをまず謝らなければなりません。

今辺野古で440日を乗り越えてきた人たちや、それぞれの地で辺野古を広げる人たちは、それぞれのきっかけがあり、根っこの部分にはウチナンチューの方への謝罪の気持ちと、基地問題をこれからもヤマト広げていく決意の上の行動であることを、できればまずわかって欲しいと思います。

では辺野古の話に移ります。まず僕は本当ならここで勝利報告をするつもりでいました。「辺野古見直し」と報道された後、その日を今か今かと待ちわびていますが、政府の発表で作業が止まるどころか、施設局はもっと強行に卑怯なやり方で揺さぶりをかけてきます。

辺野古の現地の認識としては、まだ1年以上かかるかもしれないと見ることにしました。これはものすごく辛いことを言っていますが、現地を離れて生活する皆さんにもわかっていてもらいたいんです。

普天間基地代替案など、辺野古反対のマグマを抑えるためのメディアの情報にはみなさんも動揺しないようにお願いします。

最近野党の議員さん達が、テントに訪ねてこられた時には「9月までには答えが出ますから!」といわれています。「6月の日米協議では・・・」と3月ごろ聞きました。実際の日米協議は、辺野古などの具体的な名前は一切出てこない大変粗末なものでした。

623日の慰霊の日も、注目されていましたが、辺野古に関した動きはありませんでした。

そういう状況の中で、何も起こらず通り過ぎて翌日を迎えるときはものすごく落胆し、疲労してしまいます。だから9月も怪しいので、まずはまだ後1年。場合によってはそれ以上続くことを見越して、行動を継続していく必要があります。

先ほどの野党議員の方のフォローをするなら、彼らが悪いのではなく、仕事柄そういった発言が必要でもありますし、彼らも同じ仲間として国会答弁や防衛施設局への直接の抗議行動など、中央の動きに対して辺野古をサポートしてくれています。

わかっていて欲しいのは、長引くということは広げていくチャンスでもあります。戦争を止め、差別や偏見の無い世の中に繋げていくチャンスです。

確かに毎日の消耗は激しいですが、その1日を具体的に動くことで、大きなうねりを作っていくきっかけになると思います。

現場はとにかく11日の作業を止め続けること、そしてその数日後に強行作業が予定されれば、その対策を練ることに集中し、その一方で、辺野古が終わったらカヨーのおじぃが牛をしめてくれるからみんなで一頭まるごとたべようねぇとか、おばぁおじぃと一緒に温泉に行こうとか、みんなで気持ちをほころばせながら毎日阻止行動にあたっています。

そのBへつづく


HPへ掲載するに当たり、一部加筆・修正をしました。
この文章の転載などを希望される方へ、まずはじゅごんの家のメールアドレスまでお問い合わせください。よろしくお願いします!





7月25日(月)
座り込み463日目
今日は台風の影響があるのではないかと思われていましたが、朝から海はベタ凪・・。船長はそれぞれ急いで出港!!
 辺野古到着! 出港はしてみたものの、その頃から風が出始め、ヤグラに近づけないほどの大荒れ!!  強風をやり過ごすため、アジサシの群れもヤグラで羽休め。
第5ポイントは潮の流れが複雑に入り組んだポイント。大波が寄せ、ゴンベー大揺れ!船長判断で緊急退避!! 海底の岩場に何度も掛け直したアンカーは、(写真左側の)歯が歪んでしまいました。自然の力は恐ろしい・・。
退避の途中、第3ポイントにパシフィック船団が近づく様子が見えました。 第5よりも外洋に近い第3ポイント。高波が寄せていたそうですが、みんな無事、帰港しました。 と、第5に向かうサンコー船団と遭遇!「危険ですよー!」
この後の監視はフィリアに交代。台風対策の補強作業だけで、今日の作業は終了。
港に戻ってくると、先ほど第3ポイントで作業できなかったパシフィックが、補強作業をしているのが確認できました。 テントに戻って、陸上座り込み。今日はかわいい わかもの も参加してくれていました! きれいな海でしょう。
昼食たべてただけなのに泣かれた。 食後、たまにはみんなで 早く白紙撤回を勝ち取るには、これからどうしたらいいのか話し合い! こっちはひとりぼっち対決!
     海人 vs 女子学生
じゅごんの家日誌
 今夜の晩ごはんは、最近ハズレのないユキヒコシェフが、おいしい手料理を振舞ってくれました。ゴチ!!


何枚撮っても瞑想中だね、
          今日のゆっくんは。
今日から、7月の初めに行われたマシュポの大阪 名古屋報告会の内容 (報告時間1時間弱) を、全9回に分けて毎日アップしていきます。 報告会の様子はこちらで→7月A マシュポの津々浦々珍遊記。

報告 ほぼ全文

マシュポファイル 1 

・こんにちは 僕は11月から辺野古で阻止行動をしています、小林正和といいます。あだ名はマシュポです。辺野古ではあだ名のほうしか通じません。

・辺野古のある沖縄の名護市で、若者4人と共に、じゅごんの家というリサイクルショップを運営しながら、辺野古の基地建設の阻止活動を両立させ共同生活をしています。

・東京の練馬区にあるオープンスペース街と言うリサイクルショップが、経営母体として昨年4月以後、辺野古で基地建設の事前作業が始まったことをきっかけに、若者を辺野古に送り出すため「100円若者カンパ」として生活費を集めてくれています。

・毎月1000円入れてくれる年配の方や、来るたびに「100円ね」ってカンパしてくれるお客さんの、お金以上の気持ちをもらって僕らは阻止行動をし、毎日その様子をHPにアップしています。

・僕はまず沖縄出身の方に謝らなければならないと思います。中には責任の押し付け問題ではないからやめてくれと言われる、沖縄出身の方がおられることも知っていますが、まず謝るべきだと思います。

・今まで沖縄のことを僕は知らなさ過ぎました。辺野古にかかわることで本当にそのことを痛感させられました。

・これまで基地があることで戦場と隣り合わせの被害に合わされ、95年の米兵による少女暴行事件をきっかけに起こった普天間基地移設問題。1997年の基地の移設受け入れを問う名護市民投票で賛成派反対派に別れたことがきっかけで、兄弟や家族同士が口も聞けなくなる状況、その時反対派が過半数を勝ち取ったのにもかかわらず、政治家の勝手によって結果まで塗り替えられ、2001年の沖縄サミットが名護市で行われた本当の理由は、基地建設を推し進めるためのものだったこと。

・昨年8月、沖縄国際大学へ米軍のヘリが墜落事故を起こしたときは、学校内に消防車が入るよりも先に米軍が大学を占拠し、死んでもおかしくない被害にあった民家には、警察よりも先に防衛施設局が訪ねてきて、破損物の修理費の立替を頼んで回っていたことなど、知らないことだらけでした。

・琉球と言う国を日本が支配し、その後も、沖縄を激戦地としてしまった60年前の戦争から、簡単に戦後60年と言ってしまう今の日本にあって、戦争のための基地のある沖縄は今も戦争中です。そんな場所を平和教育の地として縛り続ける状況。メディアにも責任はあるでしょうが、政府や教育現場の責任はより重たいと思います。

・実際、僕も高校の修学旅行で沖縄を訪れましたが、戦跡と観光地しか回らず、米軍基地には全く目を向けさせない状況に、違和感を覚えました。そして先日、青山学院高等部の入試問題で、「ひめゆり学徒の体験談は退屈だった」と出題されたように、沖縄戦の犠牲者を軽視するようなことが、僕らの旅行中にも起こりました。

戦時中、米軍の毒ガス攻撃にあって、たくさんの人が殺されたガマで、息を潜めて隠れていた女性の体験談を聞きながら、僕のクラスは話も聞かずに大騒ぎしました。僕はクラスで声を上げられる程強くも無かったので、その時はただうずくまっていました。

 後で担任への感想文に、抗議を目いっぱい書いて出しましたが取り合ってもらえず、沖縄が嫌いになりました。

そのあと3年くらい、地元のNGOに関わって戦争について考え、中でもミャンマーと言う国、実際にはビルマと呼んでいますが、その国に対して日本が軍事政権に、ODA 政府開発援助として軍事政権に資金を送り、ビルマ軍は国内の少数民族を虐殺し、「民族浄化」として13歳の少女をレイプし、生きたまま焼き殺したことを知り、税金を払っている僕らに責任があると感じました。その後、ビルマの友人と仲良くなる中で、問題意識がもっと高まり「日本で言えば沖縄だよな〜」と言ったNGOのボスの一言で、忘れていた沖縄への気持ちがもう一度 高まりました。

9月に地元で開かれた、僕の友人による辺野古報告会をきっかけに辺野古のことを知りました。アメリカが北朝鮮と同じようにビルマを軍事独裁国家と名指ししたことで、これ以上沖縄もビルマも傷付けたくない!と思い辺野古へ行こうと決めました。

そして辺野古の闘いを通じて、沖縄の人たちは、基地によって虐げられているとばかり思っていましたがそうではなく、基地のあるところには、必ず抵抗を続ける人たちがいることを知りました。

そのAへつづく

HPへ掲載するに当たり、一部加筆・修正をしました。
この文章の転載などを希望される方へ、まずはじゅごんの家のメールアドレスまでお問い合わせください。よろしくお願いします!

琉球新報 (7/25 16:20) 

女児わいせつ米兵を起訴

 那覇地検は24日、沖縄市で女児の着衣を上げさせ、その上半身を携帯電話のカメラで撮影したなどとして、強制わいせつと住居侵入の罪で米軍嘉手納基地所属の二等軍曹アーマンド・バルデス容疑者(27)を起訴した。那覇地検によると、バルデス被告は犯行現場にいたことは認めているが、強制わいせつについては否認しているという。

 起訴状によると、バルデス被告は今月3日午前8時24分ごろ、遊んでいた女児や友人を見かけて犯行を思いつき、近くの民家駐車場に侵入し、女児をその場所に誘い込んだ。その後、身ぶりで指示して着衣をまくり上げさせて上半身を撮影するなど、わいせつ行為をしたとされる。一緒にいた友人は女児の家族に連絡するため、その場を離れていた。
 バルデス被告は「女児が服を上げたから撮った」と述べ、逮捕直後から犯行を否認している。

(7/24 13:19)
特殊部隊が撮られていいの? 住民地域隣接の訓練場

 ○…そもそも「特殊部隊」と名が付くからには、その正体はベールに包まれ、訓練は人知れず奥まった場所でやるものではないのか。ところが、訓練場があまりにも住民地域に近いために、訓練の様子がしっかりと空撮されて、世間にさらされてしまった。米軍キャンプ・ハンセン内レンジ4の都市型戦闘訓練施設で始まった、米陸軍特殊部隊グリーンベレーによる実弾射撃訓練のことだ。
 ○…旧知の“良き隣人”とはいえ、こうあけすけと素顔を見せられては地域住民も迷惑なだけだ。米軍や日本政府は、離れた場所に代替施設を造るまでの一時的な使用だから我慢しろと説く。しかし今の場所で訓練を続行すれば、また空撮されるのは必至だ。それは、日ごろ何かと「軍事機密」を持ち出して情報を閉ざす米軍にとって、お粗末で、看過できないことではないのか。
 ○…空撮のたぐいを米軍は相当嫌がると聞く。住民による監視行動も続くし、「県民集会」で示された県民の怒りも収まらないだろう。これでは落ち着いて訓練もできないし、訓練の目的とされている「練度の維持」もままならないのではないか。訓練場までの絶対的な距離の近さは、地域住民ばかりではなく、米軍にとっても“危険”すぎる。

 




7月24日(日)
おはようございます・・・。
寝起きで昼ごはん。
午後からサオリは辺野古の城マニアの案内で城めぐりに行ってきました!
一箇所目は世界遺産にも登録された勝連城址。
城の頂上はとってもキレイな眺め!!
こんな景色を見てたら自分がちょっと偉くなった気がしちゃうかも。
びびる高所恐怖症のエイくん。
2箇所目は読谷の座喜味城!城壁がとってもきれいな曲線を描いています。沖縄戦中は米軍が九州からの特攻機攻撃に備えるレーダー基地としていて、城が返還されたのは最近のことだそうです。 アーチ門。上からの石の重みで強度が増すようになっているそうです。 城壁の頂上から見える象のオリ。
今日の夕ご飯はゆっくんとしんくんが作った中華料理!
サザエさんを見ながらいただきまーす
おいしい〜!



7月23日(土)
第11回 名護街宣大作戦決行!!
準備を整えて・・ さぁ、いってみよう!!
今日は辺野古でお馴染みの方が初参加!!ありがとうございます!!
丁寧に一枚ずつチラシを渡します。
注目度抜群!?
へのへのこちゃんでアピール。
サオリも即席ポスターを作る わざわざバイクを降りてチラシをもらいに来てくれた方。ウレシイ・・! 今日の参加者は10人!
高校生や大学生など日本中から若者集合!!平均年齢ぐっとダウン。
街宣終了後は恒例のミーティング!!
一人ずつ今日の感想を発表しました。
厳しい意見やうれしい反応・・。名護市の方の様々な意見をみんなでしっかりと受け止め、話し合います。
みんな真剣な表情で聞きます。
←佑治さんから「アイスでもみんなで食べてね」とカンパをいただきました!
暑い夏にはアイスが一番!ありがとうございまーす!

6時半からはサイレントキャンドル。→



 沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と200日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。

 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。

 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。

 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。

 東京の国会前座り込みで知り合ったアユさんは、バッグパッカーを夢見てお金を貯め、その仕事をやめたばかりで辺野古へ行き、今のところ彼女の旅は辺野古でとどまっている。

 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。

 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。

 彼らは全員20歳代だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。
家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。
彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて
闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。
世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。
 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。
 どうしても、今止めなければならないから。
 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。
 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。

 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。
先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。
東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて
いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。
 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況
の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。
 ものすごく個人的な話ではある。
でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。
自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。
大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。
足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。
周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。

 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 

 太田武二(命どぅ宝ネットワーク)、ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中馬由紀子(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、
1/15 現在
郵便局 10020−84023361
赤羽 則子

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