ジュゴンの家・日誌
「ジュゴンの家」の賛助会員、募集中
「ジュゴンの家」は沖縄・名護にあるリサイクルショップです!!お店を開けつつ、「基地建設をとめたい!!」という思いで、日々行動しています。
「ジュゴンの家」では「ジュゴンの家」を支えてくださる賛助会員を募集しています。
「力になろう!」という皆さま!!
ぜひ、賛助会員になってください!!よろしくお願いします!
会員申し込みは・・・FAXまたはメールでお知らせください。
  電話&FAX 0980−54−2948 
   e−mail   dugonghouse_in_okinawa@yahoo.co.jp
会費・・・月1000円、年10.000円となります
同基金への協力は 
●琉球銀行 普通口座 名護支店
 口 座 番 号   23−130
 口 座 名  西 陽子 まで

よろしくお願いいたします
           「じゅごんの家」メールアドレス
                  クリッククリック→

7月Iへ 日誌indexに戻る 8月Aへ

8月@
参加者募集!!!
阻止船に乗る人、海上のやぐらおよびテントで座り込みする人が必要です!!!
少ない時間でも、行動できる人は集まってください!!
あなたが行動することで現場の状況は変わる・・・・!!
どうか、よろしくお願いします!!
辺野古に来てください!!!
海上行動用のダイビングスーツも募集しています。使わない物があれば、是非ジュゴンの家の住所まで送って来てください!!お願いします・・・!!

海上調査阻止行動のための緊急カンパのお願い!!
現在、辺野古ではボーリング調査を阻止するための阻止行動が行なわれています。とりわけ「海上調査阻止行動」が重要になっています。リーフ外での防衛施設局の調査を阻止するための行動船を調達するための資金が圧倒的に不足しています。

 今すぐに数100万円の資金が必要です。全国の皆さんに緊急カンパをお願いしたいと思います。皆さん応援をよろしくお願いします!!

 カンパを振り込まれる際は、下記の口座にお願いします。(このカンパのお願いは「ジュゴンの家」が、「命を守る会」を応援する気持ちで独自でやっています。振り込まれたお金は、辺野古でのボーリング調査阻止行動のために使われます。)
●郵便局 17040−14225611  西 陽子 

国会前座り込みホームページヘ!!

辺野古より緊急連絡!!!

海面に油広がる 水陸両用車沈没 (琉球新報6/10夕刊)

 【名護】名護市辺野古沖で9日に沈没した米海兵隊の水陸両用車から油が漏れ出して周囲の海面に広がっていることが10日午前、分かった。米軍は市に「油漏れ対策として、9日に化学剤による中和作業をし、10日にも行う」と説明している。
 目撃した人によると、米軍は10日午前8時ごろから現場にゴムボート2隻を出し、数人の潜水士が潜って部品状のものを引き揚げるなどの作業をしていた。通常の中和作業で見られるオイルフェンスを張って薬剤を散布する様子はなかった。辺りには油のにおいが立ち込め、午前9時ごろ、米兵が現場を離れた後にも海面には幅3、4メートル、長さ2、30メートルほどの油の帯が残っていたという。
 米軍がどのような手順で中和作業をするのかは分かっていない。午前の作業の後、米軍は10日午後零時半現在、現場に現れていない。 

那覇防衛施設局はこの油漏れに対して、現在何の対策も行っていません!!
一刻も早い油の回収、オイルフェンスの設置を防衛施設局へ訴える抗議の電話・FAXをよろしくお願いします!!
那覇防衛施設局  電話098−868−0174
             FAX098−863−1750

 ボーリング用のやぐらが珊瑚を破壊・・・!!
3月17日(木)にきた台船を留めるために、荒波の中無理やり降ろしたアンカーが、
再びサンゴを破壊していた。
海底に潜った夏芽さんたちが撮影した写真が見られます!!

ここをクリック!!





「名護街宣大作戦!」のお知らせ

 名護市民は辺野古に注目しています。でも、なかなか現場に来ることができない、きっかけがつかめないという人達のために、辺野古の現場でおこっていること、今、名護市の全体の力が必要だということ伝えに名護市街へ出て行きませんか?


                        

☆飛び入り大歓迎!!

     一緒にビラまきをしたい人を募集しています。

 私たちは毎週土曜日、海上行動隊、海人のマイクアピールや
 ビラまき、写真の展示などを行います。皆さんもぜひご一緒に
 参加してください!!


☆作戦決行日:毎週土曜(雨天中止)
      14:
30 じゅごんの家集合!!(名護市城2−13−2)
      15:00 為又・
「洋服の青山」前で街宣開始!
      16:30 名護十字路近く・「オキマート」前で街宣開始!
      18:00 「じゅごんの家」でミーティング





8月5日〜8日
 マシュポの津々浦々 珍遊記。 in 熊本 阿蘇
やってきました!火の国 阿蘇!
5日〜9日まで夜通し開かれる
 Rainbow2005ASO 
  Peace Gathering

LOVE & PEACEがテーマの音楽祭、とっても楽しみです!
人里離れた山の上の高原が、今回の会場。ものすごく眺めがいいぃ!
写真の左から右、写真に入りきらないくらい全部が今回の舞台です。みんな自分のテントを張り、自炊したり、買い物したりしてそれぞれの生活スペースを作っていく。たった5日間で阿蘇の高原に、みんなでひとつの村をつくっていきます。
←テントを持ってこなかったので、ボランティアスタッフをする代わりに、物置きテントに寝泊りさせてもらいました。助かりました、ありがとうございます。


 その夜は、お祭り広場でドントファミリーによるライブ!!→
朝から日差しが強い!さすが標高900m、沖縄とは違った暑さ。でもきもちいい! 8月6日 8時15分、ヒロシマへの追悼のため、みんな広場に集まってきます。 人間が神聖な 火 の使い方をあやまり、たくさんの犠牲者を出した。黙祷をし、持ち寄った楽器を奏でながら、祈りのティピに 火 をまつる。
スタッフ用賄い朝食。ご飯を目の前にすると、まずは写真。じゅごんの家の ちょっと悲しい習性。 どんどん人が来ます!受け付け大忙し! そして雨も良く降る!受け付けテントが水浸しになったため、緊急で水路を掘りました。
マシュポの友人到着!ドームを建てるのを手伝うマシュポ。 完成間近!日がかげってきました。 明かりを入れて、
←日球ドーム完成!!3人で約1時間半で建ちました。
  彼のHPはコチラ!

 会場内にあった、他のジオデジックドーム。このサイズもかっこいいですね。→
ここでもお得意のファイヤーポイを見せてくれました。満天の星空のもと 最高です!
翌朝、テントの裏に衣類 散乱。雨で濡れたから天日干ししているようです こっちはアースダンスの会場。昨日から一晩中 トランス!一晩ぶっ続け踊りっぱなしです。 お祭り広場も盛り上がっているようです!
キャンピングカーで、ディジュリジュを吹く人たち。ボェーオェオェーと独特の音色を奏でます。 竹を運んで来て、また新しいティピを建てる。小雨なんてヘッチャラ!! と思っていましたが、また降り始めました。雷雨でドシャ降り!水没テント続出!!自然と対峙している感たっぷりです。
←こちらは、もともとあった農業用 巨大ビニールハウスを利用した
天空カフェ。今夜はここで辺野古報告会をさせてもらいます!


 夜11時スタート!会場には40名くらいのお客さんが来てくれました。30分の予定が、きっちり1時間・・。 →
関係者のみなさん、どうもすいませんでした と共に、ありがとうございました!
アザース!!
レインボーなイベントだけあって、レインボーなズボンをはいてるお客さん。 実行委員の方は常に会場内を走り回って超大変!水道の排水が溜まったので、芝生に散水しています。 今回の仕掛け人、代表であり この村の村長でもあるこの方と一緒に。最終日までいられなくて残念、またどこかでお会いしましょうね!!
辺野古に何度も来ている、廃油石鹸を訪ねて全国を歩く若親子。
いただいたせっけんと、あいりちゃんの寝顔。
帰りには、親切なタクシーの運転手に、阿蘇の大観峰や温泉(3日ぶりの風呂!)へ案内してもらいました。 ここから眺める阿蘇山は、ちょうど女性が寝ているように見えるらしいです。ヘソから煙り吹いてますね。



8月9日(火)
座り込み477日目
おはようございまーす!!


かっちゃんがかっちゃんTシャツを着てくれていました!!
今日は第一ヤグラに。

早朝からキャンプシュワブの浜で水陸両用車訓練を始めた。

浜に出てきていたサンコーの作業員も訓練が始まったので一時待機。→
中馬さんが第一やぐらに来ました!!
あべさんと記念撮影!!
海人さんからの差し入れのクッキー! 朝から一泳ぎ。
お弁当をいただきます。 パシフィックの作業船が来ました。 ヤグラの沈み具合を確かめる写真を許可しました。
沖縄国際大学に墜落したCH53が辺野古の空に飛ぶ。
テントに戻ってきました。初イカ墨スープをいただきました!!イカ墨の旨みがおいしいー!
かっちゃんTシャツ2ショット!! テントに差し入れの花が飾ってありました。ステキ!!
今日は晋くんの21歳の誕生日!!

超おっきい帽子と
「NOBASEHENOKOTOKYO」の仲間からドラえもん電報が届きました!
ハネやんが作ってくれた夕ご飯。
お誕生日おめでとう!
大きいチョコケーキ!
「甘い・・・」
ここんとこの辺野古の様子はコチラへ!!
 →「街」日誌。
じゅごんの家日誌
←辺野古の兄さんが帰ってきたよ!


大阪行動でお馴染みの方 来店!!お土産の水ようかん、ごちそうさまです!!→
←先日 放送された、大阪よみうり放送の、辺野古特集のビデオを一緒に見ました。今までのヤマトでの放送でいっちばんいいですね!


お土産三点セット!!
沖縄「戦後」ゼロ年 という本もいただきました。→




8月3日(水)
座り込み471日目
おはようございます。 今日は、沖の白波が昨日よりはっきり見えます。台風が近付いています。 ヒサ坊さんと阿波根昌鴻おじぃのツーショット。
台風が近いので、船を上げに行きました。
←港まで来て、鍵を忘れたことに気付いた晋くん。もう一回辺野古まで往復しました。

 こちらの港の大型船は、台風の波で護岸に当たらないように、岸には寄せずに固定。その様子が何かかっこいいんです!→
 テントを畳んで、  中の物は事務所に移動。 臨時受け付けは、商品でいっぱい!
←新商品!
 NO BASE HENOKO TOKYOの方々が作ったヘンプアクセサリーたち。

 こちらも新商品!→
 辺野古を記録し続けるカメラマン 浅見裕子さんのポストカード。これから辺野古の様子を伝えるときは、言葉だけではなく 写真付きで 大切な方へ届けましょう!
こういう日は、黙々作業日和。 「じゅごんのぬいぐるみ、子どもが喜んでねぇ」 と、お客さんからウレシイ反応! テント限定販売にも関わらず、既に品切れ状態!おねぇさんは今日もせっせとお裁縫。ご苦労様です!
琉球新報 (8/3 14:22)

物資搬入、訓練再開か 米軍都市型施設

 【金武】3日午前、金武町の米軍キャンプ・ハンセン内レンジ4の都市型戦闘訓練施設で複数の米兵が姿を見せ、軍車両から物資を降ろすなど訓練再開に向けたとみられる動きが確認された。ピストルなどの火器で標的を撃つ屋外射撃場内でも米兵や整備作業の作業員らが確認された。報告を受けた伊芸区の池原政文区長は「訓練が再開される可能性がある」と話し、緊迫感に包まれている。
 午前8時40分ごろ、施設内に米軍車両が停車し、5、6人の米兵が車両から射撃訓練の標的とみられる物資や箱などを降ろした。屋外射撃場内でも施設を点検し見回っている様子が見られた。

沖縄タイムス 2005年8月3日(水) 朝刊 1面
13日で事故1年/沖国大本館の解体完了
 米軍ヘリが墜落、炎上した宜野湾市の沖縄国際大学本館の解体作業が二日までに完了し、昨年八月十三日の事故から一年を前に、事故現場は更地に姿を変えた。

 事故の記憶を風化させないよう市民グループなどから保存要望のあった「壁」は、取り外されて本館近くに保存。事故の惨状を伝えるものは、黒焦げ跡の残るアカギだけとなった。

 現在、大学側は事故で汚染された土壌の入れ替え作業を進めている。

 本館跡地に再建される新館は地上五階、地下一階の鉄筋コンクリート構造。延べ床面積は約三千八百平方メートル(旧本館は約千六百四十平方メートル)。

 十一月までには着工の見込み。

 本館職員らは仮設プレハブで業務を続けており、「新築を急ぎ、来年の夏季休暇中には引っ越しを済ませたい」(黒島安武事務局長)としている。

本館が解体され、更地となった沖縄国際大学構内の米軍ヘリ墜落現場=宜野湾市・沖国大




8月2日(火)

座り込み470日目
今日はひさーしぶりに第2ポイントにやってきました。

←単管の上では足袋が大活躍。

やぐらに付けてある看板。
防衛施設局がつけた看板より、こっちの方が断然正しい!!→
今日のじょーとー!おやつ。差し入れでいただいたものだそうです。 「今日はファスナーをつけたのよ!」と、冬の帽子に続いて夏用のスカートを縫う悦美さん。とっても縫い目が丁寧で早い〜!! 台風が近づいているため、リーフに白波が立っています。リーフは沖の強い波を防いでくれる自然の防波堤。リーフのお陰で台風の中でも干潮時にはイノー内で漁が出来るそうです。
今日は台風対策のやぐら補強を許可しました。
海に降ろされた36本の単管がまたたくまに組み上げられていきます。こちらもタンクを背負って冷たい水の中での監視。作業は1時間以上行われました。
お弁当タイム。
差し入れでいただいたサラダ!!
たくさんの具がピリ辛風味で美味しかったです!ごちそうさまでしたー!
午後はサンコーとパシフィック船団が合同で排除勧告を行っていきました。 「普天間基地の返還のためにこの基地が必要です!あなたたちは沖縄の整理縮小の妨げになっています!今の平和を守るためにこの基地が必要だと思います。」
テント村に戻ったらジュゴンパンが届いていました!
ごちそう様でしたー!!
晋くん日誌
施設局の「排除勧告」〜伊芸区の怒り。
8月2日(火)
・防衛施設局による違法な強行調査を阻止しています。
☆書き込みに「都市型訓練施設県民大会について書かれていない」との指摘がありました。ありがとうございます。反省して今日の日誌に書きます。ご理解ください。

〜今日の海上〜
今日は珍しく、サンコー、パシィフィック同時に海上に出てきました。
台風9号が近づいていることもあり、私達も最小限の船で午前7時より、各ヤグラに登って待機しました。私は久しぶり(初めてかな?)に阻止船ではなく、ヤグラに登って待機しました。
海上は午前中から強風が吹き、荒れていました。風速は5メートル以上、波は2メートル半ぐらいでした。
午前9時頃防衛施設局の作業船が出港。大型船1隻、小型船8隻。
小型船8隻の内の2隻は外洋で大型船1隻と共に海象調査を行っていました。

午前9時、小型船6隻は3隻ずつの船団、2グループに別れて移動を開始します。
作業船が出るとこちらの責任者と施設局側の責任者が話し合い「台風対策のための補強機材をとるまでは一切の作業をしない」ということが確認されました。

サンコーの船団は私が登っていた第五に来ました。到着するとすぐに海中での台風対策のための補強機材の取り付け作業に入りました。
午前11時前に第五での補強機材取り付けが終了し、サンコーの船団は第二に向かい同じ作業を行いました。
午後、1時前には第二での作業も終えています。

パシィフィックの方も午前中には補強機材の取り付けを第一、第三で終わらせ昼ごはんに入っていました。

午後は二つの船団が合流し、合計6隻の船団で各ヤグラを回り、「排除勧告」を開始しました。

〜施設局の「排除勧告」〜
第五において防衛施設局は
「普天間基地の移設は日米間で決められたことであり、沖縄県、名護市の酋長との間で話し合われ決定したことです。基地建設は沖縄の"負担軽減"のために必要なことなのです。普天間返還、基地の負担軽減にご協力してください。」と拡声器を通していい続けていました。
そして、ヤグラにいる私達に対し「4・81平方キロメートルもある普天間基地が移設されれば184ヘクタールになり、規模が縮小される。」「宜野湾市での米軍による犯罪がなくなる。」などと言うことを細かに説明してきました。
こんなことを本当に信じていること自体が驚きでした。

私は前回にも書いたと思いますが、施設局は基地建設が負担軽減になるなんて言ううそっぱちをよくも平然と言えたものです。
ではなぜ1966年、今から約40年も前に米軍はこの辺野古の海上での基地建設の青写真を作ったのか。それは決して「負担軽減」なんて言うもんじゃない。
「いかに2万5千人にもなる在日沖縄米軍を効率的に物資と人間を動かして侵略戦争に動員していくか。」米軍が考えていることです。
キャンプシュワブと辺野古弾薬庫が現存する辺野古ではあと飛行場さえくっつければいままで沖縄にはなかった最強の基地の構図が出来上がるのです。
「効率的な人殺し」こんなにも恐ろしいことを「負担軽減」などと言う言葉で片付けていること自体が間違っています。
「辺野古であれば宜野湾市のように市街地のど真ん中でもなく、人口も少ないので反対運動もおきにくい。普天間基地のようにすでに古くなった(すでに滑走路に歪みが激しくなっている。)飛行場は使えない。新しく、効率的で小さく、ハイテクな基地こそ、現在の米軍の理にかなったものだ。」そんなことが新聞報道や米軍関係者の口から聞かれたことは何度もあったはずです。それさえも分かっていない。

「酋長が決めたこと。」と施設局員は言う。
しかし、大田県政時代に作られた、そして95年10月の県民大会で決議された「基地返還プログラム」はどうなっているのか。この文書では「沖縄の全ての基地を2015年までに撤去せよ。」と書かれている。
この文書の決議を現在の稲峰県知事でさえ降ろせていない。降ろせば沖縄の怒りに火がつくことは間違いないからです。
稲峰県政は確かに「辺野古に基地建設を行うべき」だと言っている。では、沖縄県民の8割が反対し、「負担軽減」の対象である宜野湾市民は「辺野古に移設するべきでなく、普天間は無条件返還するべきだ」と市民大会で決議している。
名護市長も確かに「基地建設を進める」と言っている。では、名護市民が自らの手で市民投票を開き「基地建設NO」を市民の約6割が政府に叩きつけ、市長の言っていることを覆しているのをどう受け取るのでしょうか。

「犯罪を宜野湾からなくしましょう」この言葉には唖然とします。
ならば「辺野古で米軍犯罪が起きても構わない」ということなのか!!絶対に許せない差別的な発言でした。
かなり前にこの施設局員に対してそのように反論したところ「犯罪は米軍だけが起こしているわけではありません。なんで米軍だけを特別に扱うのです。」と言い返してきた。それに対して、東京の方が「米軍犯罪というのは"米軍がやる"から米軍犯罪というんだ!そんなことも知らないのか!!」と言い返すと答えられなくなりました。

「平和を守るために米軍が必要」ということも施設局員が今日言っていました。
先ほどあった「米軍基地返還プログラム」の中で沖縄は「米軍が沖縄にいることによって戦争の加害性を押し付けられている。多大な不幸をアジアにもたらしている。」と訴えている。
施設局が言う「平和」とは「安保」のことを指しているのでしょうか。「安保」が一体何を守るというのか。「国策」と「国益」を守るために「侵略」しているだけではないですか!
沖縄戦で盾にされたのは住民だ!!!「平和」だと、ふざけるんじゃない!!!
米軍や日本が一体これまでどれだけの国を汚し、奪い、殺してきたとおもっているのだろうか。
防衛施設局員に共通していることは自分達が「差別」していることを全く意識していないことにあります。これだけ海上において自分達が言っていることを覆されて置きながらいまだに正しいと言い張っている。施設局やこの国には何の正義も存在しないことが分かります。

〜午後3時頃に全ての業者が引き揚げていきました。

〜都市型戦闘訓練施設即時撤去 緊急県民集会〜
名護から県民集会に向かっていると驚くべき光景が広がっていました。金武に近づくにつれ、渋滞がひどくなっていくのです。車が全く進まない。
全ての車が県民集会の会場に向かっているのです。伊芸区の人たちの怒りがこれほどまでの人たちの怒りに火をつけた。
誰かが「コザ蜂起の前夜だ」と表現していましたが、私は生まれていないので見たことはありませんがそれを実感させる光景でした。
集会の会場に着くと1万人もの人たちが狭い会場にひしめき合っている状況でした。
多くの旗がひるがえり、ざわざわと人の波が動いている。すさまじい、言葉では言い表せない状況でした。
舞台には遠くの人も見えるように大画面で発言者の顔が映し出されています。
驚きなのは壇上に上がっているのは稲峰知事を初めとしてほとんどが保守系の議員ばかりでした。
しっかりと阻止もしない知事なんか壇上に上がるべきではありませんが、そういう人達でさえも壇上に上がらなければならない状況を生み出した伊芸区の人達の力はものすごいものがあります。
そしてこの集会がものすごい理由のもう一つは「伊芸区地域における全ての基地の撤去」を要求していることにあります。それが集会で決議されたのです。
沖縄の怒りはここまで来ているのです。これに答える状況を全国で絶対に作り出さなければなりません。その責任が基地を押し付けてきたヤマトにはあるのです。
集会が終わり、デモへと人々が流れ出していきます。
キャンプキンザーの前の道路は人で埋め尽くされています。お互いに声が掛け合われている。「絶対に撤去しような!!」知らない人どうしが大きな声で話している。
キンザーの第一ゲートに行くと自然発生的にマイクを使った抗議やフェンスを揺らす行動が行われました。
「このゲートを開けろ!!」「キンザーを撤去しろぉぉ!!!」「演習をやめろー!!」「イラクに行くなぁー!!」声が響くたびにフェンスは大きく揺れました。
伊芸区のおばちゃんに声をかけられました。「あんた達がんばっているね!!ありがとう!!」と。
伊芸区でも身体を張った闘いが始まろうとしています。
こんな理不尽を絶対に許さないために。
辺野古と伊芸区は一体です。人らしく生きるために差別は許さない。都市型も基地建設も絶対に阻止する。戦争を止めて、この世界を変える。
そんな声が湧きあがってくる集会でした。

都市型訓練施設の演習を止め、演習場を撤去しなければ伊芸区のおばぁ達は安心して畑も耕せない。人が殺される。沖縄はどこにいってもそんな光景があります。
全国からこの理不尽に対する怒りの声を届けてください!!絶対に演習をやめさせましょう!!!
マシュポファイル 9 最終回!
今はもう具体的に動くときだと思います。ひょっとすると遅すぎるかもしれませんが、でも動かずに苦しみながら、ただ見ていることのほうが本当は辛いんです。

これから辺野古に行こうかなと思っている方、ぜひそのことを友人や家族に話してみてください。お金が無いならそこでカンパを募って、後で辺野古からメールや電話で毎日の感想を届けるとか、工夫してみてください。

「何が出来るのか?」先ほどから言うように1人じゃ何も出来ません。1人から23人と増えて、何度も何度も投げかけることで1020と人が増えていきます。たくさんの人が本気になったとき、きっと新しいことが動き出します。

今 退屈していたりする人、または身近にいる「こいつ何とかならないか」と思うような若者には、少しお小遣いを持たせて辺野古に送り出してください。ものすごく緊張するところですが、なにかしなきゃ!って気にさせるすごい場所です。何とかならないかって思われていた若者も、3日で顔つきが変わります。

世界中で起こる悲しい出来事の中の沖縄は小さな1つなのかもしれません。しかし僕が沖縄に罪の意識を感じているようにベトナムや朝鮮半島、アフガニスタンやイラク、フィリピンなどアメリカ軍によって攻撃にあった国に対して、沖縄に住む方の中にも罪だと思って辺野古の阻止行動に参加している方もみえます。

戦争を起こして、金儲けをしたい人たちは動き出しています。それに負けないように可能性を信じて種をまき続けるんです。もし一つでも勝つことが出来たなら、苦しいとき、種を撒き続けたことが報われ、実を結んだ成果として次につながります。

辺野古だけを見ていればいいんじゃなくて辺野古から次が見えてきます。すでに動き出しておられる個人や団体の方にわかってほしいのは、僕らは辺野古だけ見ているわけではありません。次の活動が見えるからこそ今 辺野古なんです。辺野古に来られなくてもできることがあります。僕らには思い浮かばないような、これまでに無い形の闘い方っていうのもあるんじゃないかと思います。ぜひ一緒に知恵を出していただきたいと思います。

平和は願っていても訪れません。今 日本の中央は、この国を再び戦争へ向けようとしています。次に戦争が起これば大規模な核戦争にもなりかねません。あちらがお金の力で動いている以上、こちらは人と人のつながりで立ち向かうときです。

辺野古や沖縄は、これから僕らや皆さんの協力さえあれば、その土地にとどまらず、世界の戦争を止めるための原動力となっていくはずです。今やれば止められます。一緒にやりましょう。

最後に今回の報告を企画してくれた名古屋のTさんと大阪のHくんに拍手をお願いします。

   以上、報告会ほぼ全文。


※ HPへ掲載するに当たり、一部加筆・修正をしました。

この文章の転載などを希望される方へ、まずはじゅごんの家のメールアドレスまでお問い合わせください。よろしくお願いします!

最後に・・

今回のように、時期と条件さえ合えば、その時の辺野古の状況にも寄りますが、出来る限り報告会に赴きたいと思っています。特にこれからは、同じ世代の方や学生さん向けに広く話していきたいです。これは、大人の世界の矛盾を子どもが知り、それを単純に「おかしいよ」って言えるまでに変わっていったなら、大人も変わらざるを得ないだろうと思うからです。
差別や偏見のない世界への近道。それは子どもへの教育にかかっているんではないでしょうか。
ご用命の際は、気軽にじゅごんの家までお問い合わせください。

                                            2005日 小林正和 
 



8月1日(月)
座り込み469日目
おはようございます。近所の公園から流れてくるラジオ体操に合わせて、ハイ!1・2・3・4! ピースメーカーも間もなく出港。お先に行ってきます! 第5ポイント、朝からひと泳ぎする船長。
←小魚の群れ、でかくなってない?

午前9時、パシフィックが出てきました。今週も相変わらず夕方6時までねばるようです。
いまのところ、第3ポイントでは作業交渉は無い模様。
お昼ごはんと一緒にピースメーカー到着!台風の影響か、だいぶ風が強くなってきました。 食後、何やら打ち合わせする2人。 シンクロの練習!
晋くん足上がってないよ・・。
午後になってサンコーも出てきて、合同排除勧告です。 排除勧告嫌いのピースメーカーも、心配して応援に来てくれました。 作業交渉では、ヤグラの計測など一切を拒否。こちらから台風対策について聞くと、まだ予定していないとのこと。
今日も全てのポイントで作業を阻止!
晋くん日誌
山中施設局長官が更迭。
8月1日(月)
・防衛施設局、国による違法な強行調査、基地建設を阻止しています。

〜今日の海上〜
午前6時30分、今日も基地建設を止めるためにヤグラに登ります。
私は第五ヤグラで阻止船ゴンベーと共に守っていました。

防衛施設局側は午前9時頃に3隻の作業船を出港させ、午前中は第一と第三ヤグラを担当しているパシィフィックが出てきました。
防衛施設局、パシィフィックは第一、第三で何もせず、「台風9号が近づいている。それに対する施設局の対応はどうなっているのか。」(普段なら早い段階でヤグラに補強機材を取り付けている)との質問にも業者側が「まだ施設局側からの要請はない」と言うことにとどまるのみで何の要求もなく、動きはまったくありませんでした。

午後はサンコーの作業船も3隻が出港し、パシィフィックと合流。合計6隻で各ヤグラにおいて「排除勧告」を開始しました。
全ヤグラで午後1時30分〜午後3時まで嫌がらせ的に続けられました。

サンコーは第二、第五を回り、各ヤグラにおいて「クランプの交換、単管の交換、傾斜角度の測定」を要求してきましたが、「防衛施設局西局長がボーリングヤグラはボーリングをしてからでなければ絶対に撤去しないと言明したことに対して私達は絶対に許せない。施設局は今すぐ、沖縄の要求を受け入れ、普天間基地の無条件撤去をすべきです。それにも関わらず、基地を強化、固定し、基地建設を強行する、そして、沖縄へ差別をし続ける姿勢は絶対に許せない。そういう立場から一切の点検、そのほか安全灯の交換、赤旗の交換以外は絶対に認められない。」というこちらの立場をはっきりと言い、今日の作業の全てを阻止しています。

各ヤグラには夏休みということもあり、人も増え、施設局側が絶対に作業できない状況を海上に作り出しています。

〜山中施設局長が更迭〜
この間新聞報道でもあったようにこの基地建設の実質的な責任者である山中施設局長官が更迭されています。
理由は「辺野古案について海上に固執しすぎた」とのこと。このことで海上案がなくなるかどうかは誤報の面も含めて不確かです。
海上案がなくなっとしても陸上案で強行してくる可能性があり、どっちにしても油断は出来ないことは確かです。
マシュポファイル 8
辺野古に集まるのは泳ぎのうまい人でも体力のある人でもありません。普通の1020代から708090代の人たちです。みんな最初は気持ち一つです。辺野古に関わるうちに徐々に自分の色を活かせることを見つけています。僕もとっても船酔いしやすい体質です。でもきっかけがあって免許を取りました。最初は船酔いキャプテンとか呼ばれましたが、今では112時間 船の上にいても全く酔わなくなりました。

この戦いはいつ何が起こるかわかりません。僕は瞬時に判断することが苦手です。出来るだけ冷静にしたたかに、時には激しくがむしゃらに追いかけることしか出来ません。いつも反省や葛藤との戦いです。でも笑いも忘れません。みんなそうしているから、それが長く続けられる秘訣なんだと思います。

僕だけじゃなく、みんな最初は気持ち一つなんです。ぜひ、その人たちに会って話しを聞いてください。もしできる人は、阻止行動に参加してください。辺野古に来てもらえたら、僕達は本当に嬉しいです。今回の報告会がそのきっかけになったならば僕はとってもうれしいです。

もうひとつ悦美さんの話を紹介します。船の上で待機していたとき、晋くんや僕達に平和を作るということについて話をしてくれたことがありました。

「平和と言うのは3世代先まで続けて行かなくてはいけない。あなた達の次の世代まで、なぜ必要なのか語り続けなくてはならないと思う。そういうのはすぐ保守に回ってしまうから又その次にも本当に大切なことが伝わるようにしっかりとね」って話してくれました。

悦美さんの息子の夏芽さんは「平和は、子どもに選択肢として与えるものではなく、親から子へしっかりと教え込むものなんじゃないか」と、ご自身の経験から導いた彼なりの答えを言ってくれました。

晋くんに聞いたら「出来れば自分達の世代で何とかして今の世の中を変えて行きたい」と思うって。僕は「自分のあとを継いでくれるひとと一緒に育って行きたい。その相手はもしかしたら自分より年上のひとかもしれない」と思いました。

みんなそれぞれおもろいんですが、皆さんは平和を作るということについてどう考えますか?

アメリカ軍がイラクへ兵士を送るために水陸両用戦車の訓練を行い69日にそのうちの1台が海に沈んだまま油漏れを起こして、周囲のサンゴなど自然環境を壊しています。その一方で、シュワブ内には日の丸と星条旗が上がっているのですが、その星条旗が半分の高さまでしか上がらないときがあります。半国旗といって、どこかでアメリカの兵士が死んだことへの追悼を意味するそうです。最近しょっちゅう半国旗が揚げられています。

米兵も人を殺したくて戦場に行っているわけではありません。彼らの多くは、貧しさの中にいて生活に苦しみ、仕方なく兵隊に入っていく若者達です。大学に入るために仕事に就くために、彼らも戦争を起こしたいわけではなく、僕らとはまた立場の違う犠牲者だといえます。彼らにこれ以上人を殺させたり、殺されるかもしれない恐怖の中で戦場に立つことをさせないために、そんな不幸な子どもをこれ以上つくらないために、僕達は今辺野古で闘う必要があります。


次回 いよいよ最終回! そのHへつづく

※HPへ掲載するに当たり、一部加筆・修正をしました。
この文章の転載などを希望される方へ、まずはじゅごんの家のメールアドレスまでお問い合わせください。よろしくお願いします!


 沖縄・名護・辺野古の美しい海を埋め立て作ろうとしている新しい軍事基地建設を止めさせるために、おばぁたちが座り込みをはじめてから8年と200日以上。その怒りを正面からうけとめもせずに国は、ムリヤリ、かなりボーリョク的に着手し、調査のために建てられた5コのやぐらは、すでに海中のサンゴをふみくだいている。日本の各地で、世界で、この基地を作ることに対し、抗議の声がうずまいているとゆーのに。

 今、辺野古では、陸上での座り込み、海上・海底でのカヌーや船を使った阻止行動がつづけられており、那覇、大阪、京都、名古屋、東京では座り込みなどで辺野古のことを訴える活動が広まっている。これらを通じて辺野古を知り、これをじぶんの問題として重くうけとめた若者たちが辺野古にあつまり「カヌー隊」として活躍しはじめているところだ。

 弟のシュウは、船の免許をとり、「阻止船」を操縦している。巨大な作業船が辺野古に現れた日、通らせまいと、台船の進路に立ちはだかったが、台船は停まらず、シュウの船は何十倍もの大きさのその船に突撃、間一髪転ぷくはまぬがれたという。数年まえまでいわゆる「不登校」だった弟は、幸運なきっかけを得て、沖縄に行き、沖縄のかかえる問題を知り、辺野古のおばぁ達に出会った。おばぁ達に、学校では教えてくれないいくつものことをおそわり、「戦(いくさ)やならん、命どぅ宝(ぬちどぅたから)」とおそわった。これ以上、おばぁたちに、基地を苦しみを座り込むことをおしつけたくない、たった1人になってもここに立って止めよう、命をはってでも、と決めた。しかし、台船にぶつかる瞬間、シュウの頭をよぎったのは「かならず、生きぬいて帰ってきなさい、なにがあっても」という、おばぁのコトバと、大切な人たちの顔の走馬灯。死ぬわけにはいかない。なにがあっても生きていること、それ以上に価値あるものはない。おばぁの言葉の意味すること。弟の死がもたらす悲しみは、おばぁたちをも殺しかねないのだ。

 恋人のユウスケは、カヌー隊で、海上でのすわりこみをするため、名護でくらしている。ある日、仕事をやめ、彼は「辺野古に行こうと思う」と言った。それは、唐突ではあるがまるで必然のようだった。生活=お金のための生活をやめて、イメージに近いほうを選ぼうとしていたユウスケ。辺野古のことは知っていた。基地ができれば、もちろん自然はこわされ、それ以上に人がたくさん死ぬ。ねがいは、ただ、「幸せになること」。だからこそ、目の前に見えている脅威を見てみぬふりをして自分を偽ることはできない。ほんとうに幸せになりたいから、止めに行く。それが、ユウスケのイメージだ。ものすごくシンプルに、「好きな人を失いたくない、悲しませたくない」から、この不穏な世の中の流れを止めるために動く、その中でいま1番焦点になっているのが辺野古だったのである。

 東京の国会前座り込みで知り合ったアユさんは、バッグパッカーを夢見てお金を貯め、その仕事をやめたばかりで辺野古へ行き、今のところ彼女の旅は辺野古でとどまっている。

 カズマサ君は、仕事をやめてから、地元・名古屋と辺野古を行き来し、名古屋では街頭アピールなどで広め、辺野古では、はげしく船酔いしながらも必死で阻止行動をしている。

 サチコは施設局側の作業員との攻防で1度、指を3cmきり、流血したが、今日も笑顔で海に出て行き、カヌーをこいでいる。

 彼らは全員20歳代だ。若いからと言って失うものがないわけではない。仕事も、恋人もギセイにしてきている。
家族や友人の理解が必ずしも得られるわけではない。経済基盤も保障ももちろんない。
彼らはなにも好き好んで「たたかい」に来ているのではない。それぞれの意志で来ているのは確かだが、闘いたくて
闘っているわけではないのだ。ほんとうなら、好きな人と好きな場所で心おだやかに暮らしたい。
世の中が本当に平和なら、やりたいことは他にもっとある。
 それでもかれらが辺野古に来るのはなぜか。
 どうしても、今止めなければならないから。
 人の命をなんとも思わない人々がゆるせないから。
 命が大切と言うことだけは、どーしてもゆずれないから。

 私自身は東京で店を持ち、そこから発信していくために東京でやることに決めたため、辺野古には行けない。
先日も顔を蹴られるなどの暴行をカヌー隊メンバーが作業員から暴行を受けたとの報道があった。
東京で、はなれた場所でそのようなニュースを耳にすると、怒りとかやりきれなさが体中をうずまいて
いてもたってもいられない気持ちになります。今すぐにでも辺野古に行きたい。
 ケガさせられたり、あるは殺されたり、捕まったり。自分の大切な人がそんな目に、いつ合わされるか分からない状況
の中で、日常をおくらなければならないのが辛い。はなれていて手と足もだせない、叫んでも届かないのが辛い。
 ものすごく個人的な話ではある。
でも、自分の大切な人のいのちが大切なのは、誰でもあてはまるはずである。
自分の周りの人を大切に思うことと、戦争をなくそうと思うことは同じことだ。
大切な人が死んだらイヤだ。だから 戦争はやめよう、基地はいらない。
足りないのは、あと少しの想像力。イラクやアフガニスタンで、パレスチナで、亡くなった人々の周りの気持ち。
周りの人々のきもち。悲しくないわけがない。怒りがわいてこないわけがない。

 もう一度 問いかけます。辺野古の若者たちの「命を守るたたかい」にあなたは何を思いますか。 
 私たちは、辺野古で闘う若者たちの友人・知人・家族として、彼らの生活を支えるためのカンパを訴えます。
彼らが心置きなく行動するためには、1人・1ヶ月の生活資金・5万円ぐらいかかります。5万円×5〜6人を毎月作りたいと思っています。

 東京の「街」では、できるだけ多く地域の人たちが参加してくれるために「100円カンパ」を始めました。
 家族会も結成されました。

 ご協力をよろしくお願いいたします。
 太田武二(命どぅ宝ネットワーク)、ヨッシー(友人)、佐竹周一(友人)、中馬由紀子(友人)、中野高(友人)、富田直子・剛・翔子(家族会)、赤羽則子(家族会代表)、ハネやん(家族会)、末木(家族会)、
1/15 現在
郵便局 10020−84023361
赤羽 則子

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